
どうも、nickです。
月曜の書籍レビューの時間です。
今回紹介する書籍はこちらになります。
今回は宮口幸治氏の「どうしても頑張れない人たち―ケーキの切れない非行少年たち2―」を紹介します。
本書は、子育て世代の方や学校の教員などにオススメの1冊となっています。
本書を読むことで
頑張りたくても頑張れない人に、他人はどのようなアプローチをするべきであるのか?
のヒントを掴むことができます。
そのヒントになることをピックアップして紹介していきます。
またnickの雑感として「悪人こそ救われるべき」話と「教育はキチンと住み分けをするべき」話をしていきます。
「やればできる」は呪いの合言葉?

このタイトルは愛媛県にある済美高校の校歌からもじった物になります。
やればできるは魔法の合言葉。
一時期有名になったこのフレーズですが、本書では「やればできる」は時に人を苦しめる言葉であると書かれています。
それはなぜなのか?
少年犯罪を繰り返す子供の中には発達障害を抱えている子の割合が多いそうです。
こういった子たちは、先の見通しを立てることが上手くできない傾向にあります。
そのために周りの子たちと同じように物事を進めることができないのです。
当然上手くはできません。
するとどうなっていくか?
上手くできない→きちんとやればできると怒られる→やはり上手くできない→真剣になってないなどの精神論で怒られる→やる気がなくなる→ちゃんとやりなさいと怒られる
こうした悪循環によって「やればできる」という言葉は彼らにとって非常に不快な言葉になってしまうのです。
「やればできる」というのは子どもによっては通用しない言葉なのです。
なので、支援者のアプローチとしてはやればできると励ますのではなく、何をやれば積み立てていけるのか?を教えて上げることが大切になります。
彼らにはより具体的なアドバイスが必要になります。
そして、定着するには時間がかかるということも覚えておいてください。
こればかりは粘り強く「支援」(指導ではない)するしかないと、本書でページを多く割いて著者が語られています。
「頑張らなくてもいい」は外の人間が決めることではない

近年「頑張らなくてもいい」という言葉が多く見られるようになりました。
しかし、筆者は「頑張らなくてもいい」かどうかは外の人間が決めることではないと述べられています。
なぜなら、そもそも頑張る、頑張らないは本人が決めることであるからです。
支援者にとって大切なのは、本人は何を望んでいるのかを理解することです。
筆者は、勝手な思い込みで”頑張る”、”頑張らせない”を決めつけてしまう支援者が多いことを危惧しています。
しかし、一方でこう言う保護者もおられます。「この子は、勉強はいいんです。本人のペースでのんびり生きたらいいと思います。ただ、勉強ができない原因だけは知っておきたくて」 保護者のお気持ちはよく分かります。やってもできないのなら勉強を強いると本人が可哀そう、といった気持ちもあるでしょう。しかし、この考え方には違和感を覚えます。〝勉強を頑張らなくていい〟。これは、保護者が勝手に決めていいことなのでしょうか。
宮口幸治:「どうしても頑張れない人たち―ケーキの切れない非行少年たち2―」
特に小学生などの低年齢の子供に、親や教師が”頑張らなくてもいい”と言われると、勉強をしなくてもいいという言い訳ができてしまうことになります。
筆者はこのことに警鐘を鳴らしております。
なぜなら、本人の中には頑張りたい気持ちがあるのかもしれないからです。
”無理をさせない”と”頑張らせない”は違ことなのです。
またその一方で、頑張ってもできない子もいることを知っておく必要があります。
その時に気をつけることは、できない=頑張ってないと評価してしまわないことです。
頑張っている=できる、頑張っていない=できないという評価をしてしまうと、子どもに対して大きな誤解をしてしまうことになります。
この誤解は、後には本人と支援する側との関係性に大きな溝を生むきっかけとなってしまう恐れがあります。
本人と支援者の関係性に大きな溝ができてしまう弊害は後ほど説明します。
やる気の扉は内側からしか開かない

支援者が理解しておくべき事に「やる気の扉は内側からしか開かない」ということがあります。
なぜなら、そもそも本人にやる気があれば誰かが何を言わなくても勝手に頑張るからです。
筆者はやる気について次のように語っています。
『ケーキの切れない非行少年たち』の中でも、〝子どもの心の扉の取手は内側にしかついていない〟ことをご紹介しましたが、やる気のスイッチについても同様で、取手は内側にしかついていないと思います。もし支援者が外から無理やり押そうとすると、扉を閉めてしまうこともあります。もっと悪いのは、支援者が無理やり扉を開けてスイッチを壊してしまったり、この子にはやる気スイッチはついていないだろうと、最初から決めつけてしまったりすることです。
宮口幸治:「どうしても頑張れない人たち―ケーキの切れない非行少年たち2―」
では心の扉を内側から開けてあげるためにはそうすればいいのでしょうか?
本書ではいくつか語られていますが、その中から「なんとかしてやる」ではなく「隣で一緒に走ってあげる」ことが大事であることを紹介します。
どうしても、大人や教師などの支援する側が「私がなんとかしなきゃ」と思ってあれこれと口うるさく言ってしまうことがよくあります。
しかし、その何気ない一言が子どものやる気を奪っているのです。(具体例は後ほど本書から引用します)
支援する側にできることは非常に少ないです。
その少ない機会やチャンスにどれだけ的確な支援ができるのかが鍵になります。
また、時には距離を置くことも効果的でしょう。
人間、本当に何かあれば必ず何かしらのアクションを起こすものです。
そのわずかなアクションを見逃さないことに注力してください。
本人との人間関係が大切

支援者が適切な支援を行うためには、子どもや生徒に嫌われていないことが大切であると筆者は述べています。
なぜなら、信頼できる人からの話でなければ、どんなにいい話も聞いてもらえなくなってしまうからです。
本書では支援者の余計な一言から支援の可能性が絶たれてしまった例が紹介されています。
ある指導教官の余計な一言
本人との関係の悪い例として、本書の中に非行少年と教官の面談の様子が書かれています。
その内容は、普段は無口な非行少年が日々の生活の不満を教官に話すという内容になります。
黙って聞いていた教官でしたが、非行少年が話し終えた後、今後の関係性を壊してしまう余計な一言を発してしまうのです。
私も側で見ていて、これで少年も落ち着くかな、さすがベテランの教官だな、と思った矢先、その教官はこう続けたのです。「でもな、それは君にも問題があるんじゃないかな……」 私はこの時ほど、〝余計なことを言って……〟と思ったことはありません。教官の説教が続くにつれ、少年の顔はみるみるこわばり、そしてがっかりしたような表情に変わり、もう何も答えなくなりました。一方でその教官は、持論を展開し、黙って聞いていた少年に対して〝これで変わるだろう〟と思っているように見えました。その後のことは想像に難くありません。もうその少年が少年院の教官に対して心を開くことは、相手が誰であってもありませんでした。
宮口幸治:「どうしても頑張れない人たち―ケーキの切れない非行少年たち2―」
少年はアドバイスをして欲しかったのではなく、自分の気持ちをわかって欲しかったのです。
教官には「自分がこの子をなんとかしなければ」という気持ちがあったのでしょう。
しかしその気持ちが完全に裏目に出てしまっています。
まずは嫌われないこと
ではどのような心構えが支援者には必要なのでしょうか?
本書の中に少年院の少年たちから評判のいい教官の話がありますので引用します。
少年院で勤務していた頃、いい指導をしていて少年から人気のある法務教官は、こう言っていました。「まずは子どもたちに好かれないといけない。自分も学校でそうだったけど、嫌いな先生にどれだけ正しいことを言われても聞きたくない。嫌だと思う」 さらに彼はこう続けました。「好かれるというのは決して、甘やかすとか機嫌を取るということではない。子どもに笑顔で挨拶する、名前を覚えている、最後まで話を聞く、子どものやったことをちゃんと覚えている、そんな人と人との基本的な関係なのだ」 これは子どもに限らず対人関係の基本だと思いました。確かに、その法務教官は少年たちだけでなく職場のみんなからも好かれていました。子どもへの指導の前に、まず〝職場の同僚や身近な家族に対してきちんとした対人関係の基本ができること〟が第一と感じました。これは実際にはなかなか難しいことですが、とても参考になります。
宮口幸治:「どうしても頑張れない人たち―ケーキの切れない非行少年たち2―」
指導を円滑に行うための基本として、まず子どもに嫌われないことが大切であると述べています。
本文では好かれることは甘やかすことや機嫌を取ることとは違うとおっしゃっています。
そもそも甘やかすことや機嫌を取ることで子どもから嫌われないかと言えばそうとも言い切れません。
みなさんの中にも、大人から露骨に甘やかされるような言葉を受けたり、あからさまなご機嫌取りをされてイヤな気分になられた方もいるのではないでしょうか?
子どもはちゃんと大人の下心を見抜けるのです。
心構えとして、子どもに嘘は通じないと思った方がいいでしょう。
nick的雑感 救ってあげたからこそ住み分けをするべき
悪人こそ救われるべき?

筆者は「支援したくないような人こそ支援の対象」であると本書で語っておられます。
この考えは、浄土真宗の開祖、親鸞の「悪人正機」の考えに似ていると思います。
「悪人」こそ救われるべきであるという考え方ですね。
現代に置き換えると、人間社会からはみ出してしまうような方にこそ手厚い支援が必要であるということになります。
支援したいと思えない人に対して支援するということは、筆者でも難しいことであると語られていました。
その気持ちはnickにはなんとなくわかる気がします。
手がかかる生徒ほど関わってあげなければいけない。
しかしどうしても煩わしく感じてしまう。
本当に難しいです。
きちんと振り分けをするべき

上の話を踏まえた上でですが、日本は子供にとって本当に適切な支援ができる環境(学校や施設)に子供たちをキチンと振り分けるべきではないでしょうか?
nickが現役の高校教員をしていた時も、明らかに本校に来るべきではない学力の生徒までもにも合格を出し、入学させている例がいくつもありました。
その生徒は入学後どうなったのか?
結局は授業についていけないため成績は振るわず、学校生活にも馴染めず転学、退学をすることになってしまいました。
無理に合格させた生徒は、他の高校は合格できるような学力にも満たないような学力でした。
しかし、それではかわいそうだからと合格を出して普通高校に通わせることが本当の支援なのでしょうか?
果たしてなんのために入試があるのでしょうか?
それは、ある程度学力で学校や所属を振り分けるということに他ならないとnickは考えます。
場合によっては高校に通えないという子どもが出てくるかと思います。
ですが、そういった子に向けた支援を行っている施設はあります。
nickには大人のエゴが見え隠れしてなりません。
まとめ

今回のまとめは次のようになります。
・「やればできる」では解決しないことを知っておく
・”頑張る”か”頑張らない”かを支援者が決めつけない
・人のやる気の扉は内側からしか開かない
・適切な支援の土台には、支援者と本人との間に適切な人間関係が必要
本書には子育てや教育に限らず、人を支援するために必要の心構えのヒントがたくさんありました。
内容も読みやすく、筆者の少年院での支援に基づいた話が多く書かれております。
最初にもお伝えしましたが、現役の教員や現在子育てに困っている方々に読んでいただきたい1冊となっています。
ぜひ、実際に手に取ってお読みください。
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