
どうも、nickです。
月曜の書籍レビューの時間です。
今回紹介する書籍はこちらになります。
今回はオイゲン・ヘリゲルの著書「弓と禅」を紹介します。
彼は1924年(大正13年)に東北帝国大学に招かれて哲学を教えるべく来日し、1929年(昭和4年)まで講師を務めました。
この間ヘリゲルは、弓術家の阿波研造氏から弓の教わりました。
そしてドイツに帰国する頃には、彼は阿波から弓道五段の免状を受けとりました。
本書は、そんなドイツの哲学者である筆者と弓術家とのやりとりが書かれています。
本書の内容をいくつか紹介するとともに、楽器演奏、特に管楽器の演奏に応用できる部分がありましたので、nickの考えと共に解説していきたいと思います。
弓道の極意とは?

本書で書かれている弓道の極意とは何なのでしょうか?
本書の内容から、nickが「これは!」と思った所を本文から3つ抜粋して紹介します。
意図せず行う

弓道の稽古は、まず的を置かずに矢を放つところから始まります。
そして、矢を放つという行動を無意識のうちにできるようになるまで稽古を続けます。
「正しい道は」と師は大きな声で言われた。「目的がなく、意図がないものです。あなたが、的を確実に中てるために、矢を放すのを習おうと意欲することに固執すればするだけ、それだけ一方もうまくいかず、それだけ他方も遠ざかるのです。あなたがあまりに意志的な意志を持っていることが、あなたの邪魔になっています。意志で行わないと、何も生じないと、思い込んでいます」
オイゲン・ヘリゲル:弓と禅
無心で矢を放つことが重要であると、ここでは語られています。
この「無心」になることに、とても長い時間をかけて弓道は稽古をされるそうです。
また、実際に弓道家の方が本当に無心で矢を射っているのか?を検証した動画が面白いです。
この動画を見る限り無心の状態で弓を射ていることがわかります。
的は狙わない

矢を正しく放てるようになると、実際に的をおいての稽古が始まります。
しかし、的を置くようになっても、的を狙ってはならないと本書には書かれています。
稽古の第三段階で的前射となる。無心の離れが出来るまでは、何年経っても的前に立たせない。最初から的前に立つと的に中てることに集中して「弓遊病」になってしまう。無心の離れを経験し、会における身体の内なる気の伸び合いが分かってからでも、的に意識が向いた瞬間に、見失われてしまう。それ故、的を狙うなと厳しく指導する。阿波の厳格な指導である。的前でも、的にとらわれないように一層の精神集中を求める。射る時の礼法をその都度霊感に導かれるように行えと教える。
オイゲン・ヘリゲル:弓と禅
矢が的に当たるかよりも、正しい手順で弓を引き、ただ無心で矢を放てるかに重きを置いていることがわかります。
正しい手順を踏んで無心で矢を放てば、矢は勝手に的にあると考えられています。
現代風に解釈すると、ルーティーンを決めるということになるのだと思います。
的があっても正しい礼法と心構えが保てるかどうかが、弓道では問われます。
呼吸に集中し、無心になる

筆者自身、無心で矢を放つことに大変苦労したそうです。
その時のエピソードを本書から引用します。
私が力を抜こうと一生懸命努力していると言い訳をした時に、師は答えられた。「それが問題です。あなたがそうしようと考え、努力していることが。あなたは呼吸をするほかに何もしないで、ひたすら呼吸することに集中しなさい!」 私が師の要求することをうまく出来るようになるまでには、確かにかなりの時間がかかったが、ついに成功した。私は、呼吸に苦もなく没頭することを覚え、自分が呼吸するのではなく、奇妙に聞こえるかも知れないが、呼吸させられているという気持ちを持つまでになった。
オイゲン・ヘリゲル:弓と禅
これは無心に至るために呼吸に集中しなさいと言う師の教えになります。
呼吸に集中するという点でいうと、「禅」の考えと共通しています。
呼吸については楽器演奏においても重要なポイントになります。
nick的雑感 トランペットと禅
ここからはnick的雑感として、本書の内容を管楽器演奏に応用する方法を考えていきたいと思います。
音符(的)を見ない

人間はどうしても目の前に何かあると、それを注視してしまいがちです。

みなさんも、上の画像の枯葉を無意識に見ましたよね?
楽譜に書かれている音符も、一種の「的」のようなものであるとnickは考えます。
以前から、楽譜を見て演奏するよりも見ないで演奏した方が集中できるような気がしてました。
楽譜において「的」である音符を意識しない方がいいのは、決して勘違いではなかったようです。
「的」を見ず、演奏することにのみ集中することが大事になります。
また、思い切って、目をつぶって演奏してみるのも1つの手です。(意外と集中できます)
結果を注視しない

演奏結果だけでなく、コンクールや試験など賞や結果がともなう演奏についても、その先の結果を意識してしまいがちになります。
コンクールの賞や結果は、自分自身ではコントロールできません。
間違えないようにしようとか、金賞を狙って演奏しようなど考えながら演奏すると、余計にミスしたり不自然でぎこちない演奏をしてしまいます。
nickも最近演奏を録画する機会があったので実践してみました。
しかし、上手く演奏できている時は「上手くいってるぞ」と思い、ミスをすると「ミスったー!」などと演奏以外のことをついつい考えてしまいました。
余計なことを考えず、演奏にのみ集中するというのは意外と難しいのです。
上手くいった!とかミスったー!などという現実や感情の波に踊らされてはならないのです。
そして、今自分が演奏にのみ集中出来ていたかを評価して下さい。
呼吸が音になる

本書からは、集中と呼吸の関係性がよくわかります。
これは管楽器の演奏についても同じであるとnickは考えます。
管楽器における呼吸、つまりは息の使い方にのみ集中することが大事であることが読み取れます。
流す息が音になるということは、管楽器においては当たり前のことです。
呼吸の延長線上に音があるのです。
音は出すものではなく、出てしまうものなのです。
どのような息を流すのか?どのような呼吸をするのか?
今一度、確認してみて下さい。
まとめ

今回のまとめは次のようになります。
・本書は弓道の極意を習いにきたドイツの哲学者と、弓術家とのやりとりが書かれている
・弓道の稽古は無心で矢を放てるようになるところから始まり、的を置いても的を狙っていはいけないと教えられている
・弓道でも、禅と同じように呼吸が重要視されている
・本書の内容は楽器の演奏にも応用でき、効果も実感できるものとなっている
本書で書かれている弓道の極意は、楽器演奏に限らず、スポーツなど他の競技にも役立てると思います。
今打ち込んでいることに、何か行き詰まりを感じている方はぜひ本書を手に取って読んでみて下さい。
現状を打破できるきっかけが得られるかと思います。
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