
どうも、nickです。
今回はロッシーニという作曲家の人生から学ぶ労働者から抜け出す3つのコツを紹介します。
ロッシーニとは?

ジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニ(Gioachino Antonio Rossini, 1792年 – 1868年)は、イタリアの作曲家です。
ロッシーニは多数のオペラを作曲しており、『セビリアの理髪師』などは現在もオペラの定番として演奏されております。
また美食家(後述)としても知られています。
ロッシーニの生涯

ロッシーニは1792年にイタリアのペーザロに生まれました。
幼い頃より両親から音楽教育を施されたロッシーニは、6歳の時には父親の楽団でトライアングルを演奏したと言われております。
音楽の才能を見出されたロッシーニは、8歳の時ボローニャに移り住み音楽学校で音楽を学びました。
1810年、18歳になったロッシーニはフィレンツェで一幕のオペラ『結婚手形』を発表。オペラ作曲家として華々しくデビューしました。
以後ロッシーニは20年近くオペラのヒットメーカーとして活躍してゆきます。
書けば大ヒット間違いなしだったロッシーニのオペラは、莫大な富を築いていきました。
1816年には代表作の1つである『セビリアの理髪師』を発表しました。
また、1824年からはパリのイタリア座の音楽監督に就任。
作曲だけでなく音楽教育にも力を入れていきます。
突然の引退宣言
1829年、ロッシーニが37歳の時『ウィリアム・テル』を発表しました。
このオペラの発表ののち、ロッシーニは突然音楽界からの引退を宣言しました。
その後ロッシーニはオペラの講演料と楽譜の印税、レストランやサロンを経営しながら残りの人生を過ごしていきます。
現代でいうところのFIREを達成したことになります。
FIREとは?

FIRE (英: Financial Independence, Retire Early movement)は、経済的自立と早期退職を目標とするライフスタイルまたはそれを啓蒙するムーブメントを指す造語です。
米国から始まって欧州や日本などに広がり、現在注目されております。
現代では株の配当金や家賃収入などの不労所得のみで生活することを指しています。
ロッシーニの場合はオペラの作曲や公演料による資産形成だけでなく、引退後のレストランやサロンの経営を行っていたので、完全なFIREではなくサイドFIREのスタイルであると言えるでしょう。
オペラで築いた莫大な資産を元に、ロッシーニは以後隠居生活をしていくことになります。
晩年のロッシーニ

作曲家をFIREしたロッシーニはミラノに移り住み、毎週末に自宅のサロンで「音楽の夜会」開催しました。
彼のサロンにはグノーやサン=サーンス、ヴェルディ、リストなどの一流の作曲家など多くの著名人が集まりました。

また、若い頃から料理が好きだったロッシーニは、サロンの主催や作曲のかたわら、料理の創作にも熱意を傾けました。
フランス料理によくある「○○のロッシーニ風」は、彼の名前から取られた料理の名前である。

さらに、料理の名前を付けたピアノ曲も作っております。
ロッシーニは47歳ボローニャに移り、ボローニャ音楽院の永久名誉会長に就任しました。イタリアでの音楽教育に力を入れることになります。
「食」がきっかけで命を縮める

ロッシーニは料理を作ることだけでなく、食べることもとても好きだったそうです。
ですが、それが災いしたのか晩年には淋病、躁鬱病、慢性気管支炎などに悩まされてしまいました。
ついには直腸癌になってしまい、手術を受けましたがすでに手遅れの状態でした。
手術後まもない1868年、ロッシーニは76歳でこの世を去りました。
多作の秘密は使い回し?

ロッシーニは20年間で39曲ものオペラを作曲しました。
これは、作曲家としては非常に筆が早かったことを意味します。
数年はかかるとされるオペラの作曲をロッシーニは『ウィリアム・テル』では5ヶ月『セビリアの理髪師』はなんと3週間で作曲してしまったそうです。
ロッシーニの多作の秘密は旋律の使い回しにあります。
ロッシーニに限らず、この頃の作曲家の間では同じ旋律を使い回すのは当然のことだったそうです。
ロッシーニの場合、『セビリアの理髪師』序曲は『パルミーラのアウレリアーノ』→『イングランドの女王エリザベッタ』の序曲を丸ごと再々利用している。
※比較 『セビリアの理髪師』序曲(上)と『パルミーラのアウレリアーノ』序曲(下)
自分で作った旋律を使い回すので、著作権的には問題ないのですが・・・
現代の感覚からすると少しモヤっとするかもしれませんね。
ロッシーニの人生から学べること

ロッシーニの人生から学ぶことのできる、労働者を抜け出す3つのコツは次のとおりです。
- 生産者になること
- 「好き」を追求すること
- 何もしなくてもお金が生まれる仕組みを作ること
生産者になること
ロッシーニはオペラを生み出し、料理を発案し、レストランを経営するなど常に何かを作り出したり生み出す立場にいました。
ロッシーニは労働者ではなく生産者だったのです。
労働者である限り、稼ぎには限界があります。
生産者になり新しい価値を創造する。
そうすることが労働者から抜け出す一歩になるのです。
「好き」を追求すること
オペラで稼ぎ切ったロッシーニは、FIRE後は好きな料理に残りの人生のほとんどを費やしました。
また幼い頃から料理が好きであったロッシーニは、食べるだけでなく料理の開発にも力を注ぎました。
各界に顔が広かったロッシーニは自分の「好き」を彼らに提供することでお金に変えていました。
ひょっとしたら、ロッシーニは作曲よりも料理の方が好きだったのかもしれません。
何もしなくてもお金が生まれる仕組みを作ること
FIRE後のロッシーニには、次のような収入源があったと考えられます。
- 楽譜の販売収益
- オペラの公演収益
- レストランやサロンの利益
これらの収入源は、ロッシーニ本人が何もしなくても勝手に利益を生み出します。
自分が働くのではなく、お金や資産に働いてもらう。
この考えも、労働者から抜け出すヒントになるでしょう。
まとめ:いかにして生きていくのか?

ロッシーニがなぜ人気絶頂のころに音楽界から引退したのかは分かりません。
ですが、彼の人生からは現代人が学べることは多いとnickは感じます。
短い期間で稼ぎ切ってFIREするもよし、不労所得をコツコツと育ててFIREするもよし。
ロッシーニの人生は、いかにして生きていくのかをとても考えさせられる生き方だとnickは思います。
nickは現在、月10万程度のシフト収入と少額のブログ収益、電子楽譜の販売、楽譜作成サービスで暮らしております。
収入は教員時代の半分ですが、とても充実した生活が送れています。
今後も、自分をどのようにコーディネートしていくか考えながら過ごしていきたいと思います。

いかがだったでしょうか?
他にも書籍や音楽のレビュー、旅の写真紹介を記事にしております。
よろしければそちらもご覧ください。
Twitter、YouTubeチャンネルも宜しくおねがいします。
( `Д´)/ジャマタ
コメント