
どうも、nickです。
月曜の書籍レビューの時間です。
今回紹介する書籍はこちらになります。
今回は森博嗣氏の「勉強の価値」をレビューします。
本書には「なぜ勉強をするのか?」「何のために勉強をするのか?」そして、現代日本の教育の問題点について、筆者独自の観点からさまざまな意見が書かれています。
今回は、本書の中から大人なら知っておくべき勉強の真実を3つ紹介したいと思います。
子育て世代の方や、今何かに向けて勉強されている方、学校の先生方にオススメです。
大人なら知っておくべき勉強の真実3選
大人なら知っておくべき勉強の真実3選は、つぎの通りです。
・勉強は楽しくない
・大人がまず勉強せよ
・自分の勉強の発見こそ義務教育の本質
順に解説していきます。
勉強は楽しくない

筆者はまず、そもそも勉強は楽しいものではないと語られています。
正直に書くが、勉強が楽しいはずがない。もちろん、楽しい瞬間もあるし、楽しい部分もある。だが、平均すれば、勉強は楽しくない。遊びと比べたら、楽しくない行為なのである。 まず、教育者はこの点をしっかりと認識し、子供に対して誤魔化さない姿勢を見せることが重要である。そうしないと、教師の演技が馬鹿馬鹿しく見えて、親身になって教えてくれているとは感じられず、いい加減な大人として認識される。これは、教師にとって基本的な条件を損なうものだ。教える者と教わる者の間の信頼関係を失うことに等しいだろう。
森博嗣:勉強の価値
そもそも勉強はつまらないものである。
そのことをまず大人がこれを認めるところから、勉強はスタートするのだと筆者は述べておられます。
大人だって勉強は楽しくないと思っている

なぜ勉強はつまらないことを素直に認めるべきなのか?
「勉強はつまらないものである」点について筆者は詳しく次のように述べています。
「世界には学校に行きたくても行けない子供たちが沢山いるのよ」という台詞を聞く機会は多い。これは、好き嫌いの多い子供に対して「食べるものがなくて餓死する子供たちが世界中に沢山いるんだよ」という台詞と類似したロジックのようだ。つまり、学校が嫌いだ、野菜が嫌いだ、などという不平は「贅沢」という状況であり、贅沢は悪いことだ、そういう悪いことをしてはいけない、という大人の論法である。 しかし、ここで明らかなことは、子供も大人も、どちらもが「勉強はやりたくない行為である」と認めている点だろう。嫌なことなのだ。しかし、嫌であっても、それを回避する自由は子供にはない。それは贅沢という悪だ、といっているのが、さきほどの論法の骨子である。
森博嗣:勉強の価値
「世界には学校に行きたくても行けない子供たちが沢山いるのよ」という謳い文句は、確かによく聞きます。
そして、特に小学校の先生方はよく言ってしまっているのではいでしょうか?
この発言こそが、「勉強はつまらないものである」ということを認めてしまっているのです。
このようは発言は、大人が子どもに対してするべきではないでしょう。
「そんなことはない!」と思われる方もいるかと思いますが、そのような嘘や偽りは、子どもにはバレています。
nickの教員経験からも、子どもはそう簡単にはだますことはできないと思います。。
必ず見透かされます。
楽しませる必要もない

また筆者は、勉強を無理に楽しいものにする必要もないと語っています。
そもそも、「勉強をやらせるには楽しませるのが一番」という発想がかなり貧しい。人生には、辛いけれどやらなければならないことがあるし、また、楽しくてもやってはいけないことも数多い。それに、楽しいも辛いも、個人の感覚によるものであり、個人が感じる評価なのである。それを「ほら、楽しいでしょう?」と与えようとすることも、安直すぎる。
森博嗣:勉強の価値
この意見にはnickも共感できます。
以前まで高校で音楽の授業を担当していたが、なぜ無理に「楽しませる」必要があるのかがずっと疑問だったからです。
もっと普通に授業をやってもいいのではないか?
そんなふうに思っておりました。
筆者は、勉強というのは「釘打ち」のようなものであると本書の中で例えています。
工作好きの筆者ならではの表現ですが、この表現は非常に的確であるとnickは感じました。
中には「釘打ち」でも楽しめる方もいるかもしれません。
しかし大事なのは、何を作るために「釘打ち」の練習をしているのかが重要になります。
大人がまず勉強せよ

では、楽しくない勉強を子どもにさせるのはどうすれば良いのでしょう?
筆者はまず、大人が勉強するべきであると述べています。
もし子供に勉強させたかったら、まず親が勉強すること。親が勉強に熱中している姿を見せること。そうすれば、「なにか楽しいことがあるのだな」という雰囲気が子供に伝わるはずである。教育とは、本来そういうものではないか、と僕は考えている。
森博嗣:勉強の価値
総務省統計局が2016年に実施した「平成28年社会生活基本調査」によると、大人が勉強に充てる1日の平均時間は6分なのだそうです。
日頃から勉強しなさい、勉強が大事と言っているのに、これでは示しがつきませんよね?
勉強と一口に言っても、本を読んだりノートを作ったり、インターネットで調べたり動画を視聴するなど、現代では勉強のスタイルは多様化しています。
これらの行為こそが、先ほど例えられた「釘打ち」なのです。
自分の勉強の発見こそ義務教育の本質

筆者は、義務教育において最も大切な目標は、「自分の勉強の発見」であると述べています。
義務教育において、一番大切な目標は、この「自分の勉強の発見」だ、と僕は考えている。これを摑んだ子供には、もう学校の先生が必要ない。自分一人で、勉強をすることができるようになるだろう。 そして、実はそこからが、本当の勉強なのである。
森博嗣:勉強の価値
人は何のために勉強(「釘打ち」の練習)するのか?
筆者は本書において、自分が何を達成させたいのか?が先にあり、そのため目的達成のために勉強があると述べられております。
どうことなのか?
いくつか例を上げると、次のようになります。
例) ・作曲をしてみたいので、楽譜の書き方や和音進行などを勉強する。 ・より速い球を投げれるようになりたいので、体の使い方を動画で見たり筋肉について調べてみる。 ・店で食べたパスタが美味しかったので、家で再現するために使っている食材や調理方法を調べる。
この、「ので」の前に何が入ってくるのかが重要になります。
作るものがハッキリするからこそ、釘打ちの練習の成果を発揮することができるのです。
みなさんには、この「ので」の前に何があるでしょうか?
勉強をしたから目標が叶うのではなく、目標を叶えるために勉強をするのです。
義務教育でするべきことは、「ので」の前を生徒指導や進路指導を通して、生徒自身に決めさせることだとnickは考えます。
「ので」の前があって、初めて進路が決まり、その目標達成のために勉強が始まるのです。
受験があるので、勉強をするのではないということを先生方は押さえて生徒を導いてあげてください。
まとめ

今回のまとめは次のようになります。
・勉強はつまらないものであることを素直に認める
・子どもに勉強をさせたいのであれば、まず大人が勉強をするべし
・勉強とは「釘打ち」の練習のようなものである
・本当の勉強は、達成させたい目標ができてから始まる
本書には、今回紹介したこと以外にも勉強に対する筆者の考えや批判が多く書かれています。
中には、生徒指導に通じるような内容も含まれていますので、子育て世代の方や教員の方が読まれると面白く読めると思います。
皆さんも本書を読んで、「自分の勉強の発見」とそのための勉強に役立ててください。
また本書は、電子書籍でも読むことができますので、お好みの形式でご覧になってください。
また、森博嗣氏の他の書籍についても、以前レビューしていますので、そちらもご覧ください。
□諦めの価値
□集中力はいらない
コメント