今回は以前読んだ本で、私がすごく影響を受けた本である「嫌われる勇気」の紹介をします。
本書は心理学者、アドラーの唱えた心理学に基づく自己啓発の本になります。
本書の内容は、アドラー心理学の主題でもある
人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである
の一言に集約されていると思います。
今回はこの本の中から、特に影響を受けた箇所を3箇所紹介したいと思います。
1
無論 、精いっぱいの援助はします 。しかし 、その先にまでは踏み込めない 。ある国に 「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」ということわざがあります 。アドラ ー心理学におけるカウンセリング 、また他者への援助全般も 、そういうスタンスだと考えてください 。本人の意向を無視して 「変わること 」を強要したところで 、あとで強烈な反動がやってくるだけです 。
古賀史健 、 岸見一郎:嫌われる勇気
本当にそのとおりだと思いました。
自身が他人にできることは精一杯の援助までであるという考え、ことわざはすごく共感できました。
「なんとかして変えてやらなければ」と思ってあれこれやればやるほど相手との関係が悪くなっていく様子は本業でも見ることがありました。
援助の部分をどれだけ考えていくかが大事であるか、変わっていくことは相手の課題であること、非常に腑に落ちました。
2
しかし実際のところ 、他者はそれほどにも 「あなた 」を見ているものでしょうか ?あなたを 2 4時間監視し 、隙あらば攻撃してやろうと 、その機会を虎視眈々と窺っているものでしょうか ?おそらく違うでしょう 。わたしの若い友人が少年時代 、長いこと鏡に向かって髪を整えていたそうです 。すると彼は 、祖母からこういわれました 。 「お前の顔を気にしているのはお前だけだよ」と 。それ以来 、彼は生きていくのが少しだけ楽になったといいます 。
古賀史健 、 岸見一郎:嫌われる勇気
他者はそれほど自身のことに興味がないことを示した文になります。
私も自身のトランペットの音や演奏の評価が気になってしまい、積極的な演奏ができなくなってしまうことがありました。大学のレッスンではよく音が硬い、粗いと言われることが多かったので、一人より気にしてしまう様になってしまったのだと思います。
しかし、先程の文を見てからは人の評価を気にせず、思ったとおりに吹いてみようを思えるようになりました。試しに、思ったとおりに吹いてみたことを録音に取って聴いてみたところ、それほど変な音には聞こえませんでした。
他者からどのように思われているかを考えすぎてしまうことは、自身にとってよくないことを表した文章です。
3
適切な行動をとったら 、ほめてもらえる 。不適切な行動をとったら 、罰せられる 。アドラ ーは 、こうした賞罰による教育を厳しく批判しました 。賞罰教育の先に生まれるのは 「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」「罰する人がいなければ、不適切な行動もとる」という、誤ったライフスタイルです。ほめてもらいたいという目的が先にあって 、ごみを拾う 。そして誰からもほめてもらえなければ 、憤慨するか 、二度とこんなことはするまいと決心する 。明らかにおかしな話でしょう 。
古賀史健 、 岸見一郎:嫌われる勇気
「ほめられなければ適切な行動をしない、罰せられなければ不適切な行動をとる」という行動は職業柄よく見る場面が私には多いです。
賞罰教育は家庭内や学校内でよく行われているため、どうしてもこのような人格形成になってしまうのだと思います。
しかし、特に太字にした部分の後半「罰する人がいなければ、不適切な行動もとる」の部分はよく考えなければならないと思います。
極端な例かもしれませんが、「罰せられないのなら盗みや暴行、殺人をしてもいい」という考えになってしまうのではないでしょうか?
ほめられないから、罰せられないからではなく、なぜやらなければならないのか、なぜやってはいけないのかを考えなければならないと思いました。とてもためになりました。
いかがだったでしょうか?
紹介した部分以外にも気付かされる文がたくさんありましたので、よろしければ全文読んでみていただけたらと思います。
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