
どうも、nickです。
月曜の書籍レビューの時間です。
今回紹介する書籍は以下になります。
今回は岸見一郎氏の「子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気」を紹介していきます。
筆者は心理学者アルフレッド・アドラーの思想を、対話形式で紹介した「嫌われる勇気」の著者で有名です。
本書は、子育てがうまくいかない時の対処法や子どもとの良い関係の作り方についてアドラー心理学の観点から語られていく内容となっております。
現在子育てに悩んでいる方だけでなく、学校の先生方にも読んでいただきたい1冊となっています。
それでは紹介に移っていきます。
褒めてもいけない、叱ってもいけない

著者によると、アドラーは子育てにおいては叱っても褒めてもいけないと述べています。
なぜなのでしょうか?それぞれの理由を説明します。
叱ってはいけない理由
叱ってはいけない理由として、著者は次のように解説しています。
叱ることでは、子どもの行動を変えられないことにはわけがあります。親に叱られた時、なぜ親から叱られたかを知らない子どもはいません。あえて叱られることをしているのです。親から叱られたい子どもはいないでしょうが、適切な行動をしてもそれに対して何もいってもらえなければ、何か親が困ることをすることで叱られるという形で親の注目を自分に向けたいと考えるのです。
岸見一郎:子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気
叱られて親に従うのは、ただ怖いだけだからです。
それでいいじゃないかと思われる方もいるかもしれませんが、それでは怒られたくないから仕方なく勉強をするという間違った勉強との向き合い方になってしまいます。
人間は怒られないために勉強をするのでしょうか?
そうではないとnickは思います。
叱られたことをきっかけに、子どもが頑張って取り組んでいるように見えるのは親の思い込みです。
次第に子どもは、叱られたことを理由に勉強をしなくなっていきます。
それだけは避けなければなりません。
叱ることで子供の行動に変化が見られないのであれば、その子を叱ることは子供の行動を変える方法としては適切ではないと考えるのが自然ではないでしょうか?
褒めてはいけない理由
褒めてはいけない理由として、著者は次のように解説しています。
子どもをほめることの問題は、ほめられないと子どもが適切な行動をしなくなることです。ほめてしまうと、ほめられなければ適切な行動をしない子どもになります。いい成績を取ったら、お小遣いを値上げするというような約束をする親もいます。いい成績を取れなかったらどうするつもりなのでしょう。 自分のしたことをほめられたら、たしかに嬉しいでしょう。しかし、どんな時も必ずほめられなければならないと思ってしまうと、ほめられなければたちまち適切な行動をしなくなります。
岸見一郎:子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気
褒めてもらえなければ適切な行動を取らない子どもに育ってしまう。
これは非常に厄介です。
なぜなら、・・・
褒めることは悪いくとではないという方もおります。
しかし、誰しもが優しい言葉をかけてくれるとは限りません。世の中そうですよね?
子供にはそれを知ってもらわなければなりません。
なので、親のスタンスとしては褒めることは良くないと筆者は説いています。
褒められなければ頑張れない子では困るのです。
勉強することは誰の課題なのか?

そもそも勉強するのは誰なのでしょうか?
親自身ではないですよね?
勉強をすることは子ども自身の課題なのです。
勉強することは子どもが自力で取り組み、自力で解決しなければならない課題です。たとえ勉強しないでそのために成績が下がったとしても、その責任は自分で取るしかありません。子どもが望めば親が子どもに勉強を教えることはできるかもしれませんが、いつもできるわけではありません。まして、親が子どもの代わりに勉強することはできないのはいうまでもありません。親は子どもの課題に介入することはできないのです。
岸見一郎:子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気
これは、アドラー心理学でいうところの「課題の分離」に当たります。
例えば、「私が叱らないとゲームばかりしてしまう!」と仰る方がいるとします。
宿題をやらなくて担任の先生に怒られる。または成績が下がってしまう。
これらは子ども自身が受ける不利益であり、自分でなんとかしなければいけないことなのです。
それに対して親は静観していればいいのです。
勉強をしないことで親があれこれ騒いでしまうと、子どもは勉強することを自分自身の課題であると捉えられなくなってしまいます。
ゲームをしていても勉強をしていないくても、親は困ったりしないという態度を見せることが大切です。
親が一番子供のことをよく知っているという幻想

親が子どもに対する思い込みで、次の様な思い込みは危険であると著者は述べています。
親が勝手に動いてはならないのは、一つには、子どもの課題は基本的に子どもにしか解決できないからですが、もう一つは、親といえども、実は子どものことを本当に知っているとは限らないからです。「この子のことは、親の私が一番よく知っている」という人がいます。そういう親も、自分が子どもだった時は、親から同じことをいわれて反発を覚えたのではないでしょうか。
岸見一郎:子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気
子供が学校に通っているのであれば、1日の半分近くは親と子供は直接接していないことになります。
学校に8時間、睡眠に8時間と、大雑把に計算しても子と親が接している時間は残りの8時間になります。
ですが実際には8時間もいかないでしょう。
これは1日の中の3分の1以下の割合になります。
この数字を見ると、親が子供のことをよく知っていると言えるほどの時間を、子供と接していると言い切れるでしょうか?
それでも子供のことが心配で、ついつい口を挟んでしまうこともあるでしょう。
しかし、「あなたのために言っている」と言いう言葉は、愛情という名の支配の言葉です。
自分の思う通りに子どもが人生を歩んで行くことなんてあり得ないのです。
自分自身の人生もそうだったのではないでしょうか?
子供であろうと、一人の人間として尊重してあげてください。
そうすることが次に説明する、子どもが相談しやすくなる親子関係に繋がってくるのです。
ただ下手なだけなのです

子育てが上手くいかず、自分で追い詰めてしまう親も何人もいらっしゃると思います。
そう思われている方もいらっしゃるかと思いますが、それについても次のような言及があります。
私は悪い親がいるとは思いません。たとえ子どもを虐待することがあっても、そのような親は決して「悪い親」ではなく、「下手な親」なのです。なぜなら、子どもとどんなふうに関わればいいかを知らないだけだからです。 子どもを愛していない親はいないと思いますが、愛し方、子育ての方法を知らなければ、たちまち行き詰まってしまいます。その方法は一朝一夕に学ぶことはできませんが、難しいわけではなく、子どもとこれまでとは違った方法で接してみようという勇気を持てば、子どもを前にイライラしていることが少なくなっていると気づく日はそれほど遠い先のことではないでしょう。
岸見一郎:子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気
誰も親になるために人生を生きてきた訳ではありませんので、下手なのは当たり前なのです。
下手であるから悪い手段を使ってしまっているだけなのです。
自分の子育てがうまくいかないからと言って、必要以上に追い詰める必要はありません。
そんな時こそ、誰かに相談して支援を求めるべきなのではないでしょうか?
自分が支援を求めたときに対応してくださる方がいれば、自分も子どもに対して同じスタンスで接することができるのではないでしょうか?
助けを求めることは、決して悪いことではありません。
支援しやすくなる関係づくりが先決

では、親にできることとしては何が残るのでしょうか?
それは、相談してきた時にしっかりと相談に乗ってあげることです。
子どもの相談に親が乗ってあげることができれば、親が子どもに何かお願いをするときでも、子どもは応じてくれるうようになります。
そのためには、「この親なら相談に乗ってくれそうだ」と子供に思われるような関係を目指すことが大事なのです。
そのような関係を構築するためには、叱りつけた必要以上に褒めたりしてはいけないのです。
自分の子どもであっても一人の人間です。
大人相手では決してしないような態度や言葉遣いを、子どもに対してしてはいないでしょうか?
相手が子どもであっても、適切な言葉遣いと態度で接してください。
もう一度言いますが、「この親なら相談に乗ってくれそうだ」と子供に思われるような関係を目指してください。
nick的雑感
学校現場においても同じ?
本書で書かれている子どもとの接し方についてですが、教員の生徒に対する接し方においても同じことであるとnickは考えます。
生徒の課題とは?

授業に参加しない、授業に取り組まなことの責任は生徒にしか負えないのである。
その結果受験に合格できなかった、進級できなくなり学校にいられなくなったとしても、それは生徒本人にしか受け止められない問題なのである。
場合によっては、そういった経験をさせることも生徒の今後の人生においては大事なのではないでしょうか?
これは、世間一般で叫ばれている「自己責任論」とは違います。
「自己責任論」は支援することも拒否する考えですので、アドラーの意見とは全く違います。
アドラーは、支援を求められたらそれに答えるべきとおっしゃっています。
支援をする、しないでは全然違います。
教員がやるべきことは?

では教員が生徒に対してやるべきことはなんなのでしょうか?
先ほど述べた通り、生徒が何か困難を訴えてきたときに支援することもそうですが、アドラーの次の発言にヒントが隠されていると思います。
そこで、アドラーは教師は教科を教えるのではなく、教科で教えるといっています。何を教科で教えるかといえば共同体感覚です。ですから、勉強ができても子どもが他の人のことを考えられず、自分さえよければいいと思うようでは、教育に失敗したことになります。
岸見一郎:子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気
様々な教科でそれぞれの指導がありますが、その教科を通して何を教えているのでしょうか?
学校教育の根本の目的は、テストで点数が取れるようにすることではありません。
教科を通して何かを指導することは、親や保護者には出来ないことです。
教科を通して何を教えているのか?
今一度考え直してみてください。
どうしても時間がかかる

筆者もおっしゃっているのですが、アドラーの教育方法を実践しようとすると手間暇がかかります。
ですが、即効性を求めないことが大切であると述べています。
即効性を求めてしまうがために、叱ったり場合によっては体罰に走ってしまうのです。
子育てに特効薬はないのです。
子供の人生は長く続きます。
今の子供達の世代は、平均寿命が100歳を超えるのではないか?という指標もあります。
我々大人や教育に関わる人たちは「勇気を持って」アドラーの教えに従い、細く長くで子どもを育てていくべきではないのでしょうか?
まとめ

本書のまとめは以下の通りです。
・叱ること、褒めることの弊害を理解しておく。
・誰が抱えている課題なのかを線引きする。
・親がこのことを一番に理解しているということは思い込みである。
・子育てが下手なのは当たり前。悪くなんてない。
・子どもが相談しやすい関係づくりが大切である。
本書は保護者の方々や、現役の教員の悩みに鋭く切り込まれた内容となっております。
すごく参考になりますので、ぜひ実際に本書を手にとって読んでみてください。

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