今回はサンドラ・へフェリンさんが書かれた「体育会系~日本を蝕む病~ 」についてお話します。
この本の中で述べられている「体育会系」とは、いわゆる体育系の部活動を学生時代に経験していた人だけを指す言葉ではなく、過剰な同調圧力や強制力的な雰囲気のことを指しています。
私自身は吹奏楽の人間なので、体育会系とは無縁だと思っていましたかが、私の考え方や周囲の考えたかはは体育会系の思考や雰囲気であふれているなぁと本書を読んで感じました。
いつの間にか本書で書かれている考えに陥ってしまっているように思います。
この本の中から特に考えさせられて部分を3つ紹介いたします。
1
ピラミッドや組体操が再三危険だと言われているにもかかわらず、その人気が根強いのは、出来上がったピラミッドを見て「感動」する大人が多いからだとか。「小さかったあの子が、お友達と一緒に毎日頑張って、みんなと力を合わせてこんなことまでできるようになったのね…(ホロッ)」といった感慨に親たちはふけるのです。これはこれで気持ちは分からなくもないのですが、目の前のピラミッドがいつ崩れて怪我人や死亡者が出るか分からないような状況で、ホロッと涙している場合なのでしょうか。私が親なら絶叫します。
サンドラ・へフェリン:体育会系~日本を蝕む病~
一時期「感動ポルノ」なんて言葉が出回りましたが、それと似た話だと思います。この手のものは実際に行った子どもたちや生徒よりも、親や教員など周囲の大人の方が盛り上がってしまっているということはよく聞く話ではあります。
当然、中には子どもたちや生徒本人の希望でおこなっているものもありますが、周囲の大人の方が過剰になってしまい、子どもたちを追い詰めてしまっている例を数多く目撃します。部活動の指導の末、生徒が自殺してしまったなどのニュースはよく目にするかと思います。
2
この「親を尊敬しましょう」とか「親に感謝しましょう」という教えは、いつの時代も世間で幅を利かせていますが、考えてみれば、車に乗る時でさえ「免許」が必要なのに、「人間を育てる」という大きな責任を負う人、すなわち親になるためにはなんの資格も要りません。だからといって、もちろん誰にも子どもを作る権利はあるので免許制にするのは現実的ではありません。 しかし、人格や能力に大きな問題があっても、妊娠さえすれば「親には誰でもなれる」わけです。身も蓋もないと言われそうですが、「別に親だからといって立派ではない」という共通認識はどこかにあったほうが良いのではないでしょうか。
サンドラ・へフェリン:体育会系~日本を蝕む病~
「別に親だからといって立派ではない」のところが非常に頷かされます。たしかに、親であるから立派な人に違いないという思い込みはよくあると思いますが、人間、子供の親になった途端に立派な人間になるかと言われればそうとは限りませんよね。
「親を尊敬しましょう」の部分などには儒教的な思想も絡んでくるので、このような発言をする方はどうしても多くなってしまいますが、「別に親だからといって〜」の言葉はある意味「呪い」を解く言葉のようにも感じます。
3
それにしても、教育が何のためにあるのかと言えば、「将来、仕事をして自立して生きていくため」ですが、そのためには大人になった時点で本人に「やる気」があることが大事です。その意味では、どういうやり方であれ、子どものやる気をなくさせるような指導は本末転倒と言わざるを得ません。一番大事なのは「子どものやる気と根気を大事にしてあげること」――これに尽きるのではないでしょうか。
サンドラ・へフェリン:体育会系~日本を蝕む病~
これがなかなか難しいんです。やる気と根気維持させるには関わりすぎても関わらなさすぎてもうまくいきません。
関わりすぎて関係がこじれたり
関わらなさすぎてそっぽ向かれたり
自分自身だけでなく、周りを見てもそのようなケースはよくあります。
一番難しいのですが、いちばん大事なことだと思っております。
「将来自立していく〜」の部分も大切ですね。
以上になります。
この他にも職場でのこと、学校でのことなど様々な場面で「体育会系」な思想の弊害が語られています。
日本とドイツの両方で生活の経験がある筆者だからこその気付きが読んでいて面白かったです。
もし興味を持っていいただけましたら是非読んでみてください。
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