
どうも、nickです。
月曜の書籍レビューの時間です。
今回紹介する書籍は以下になります。
今回は宮台真司, 永田夏来, かがりはるきの3名による著書、「音楽が聴けなくなる日」を紹介します。
「音楽が聴けなくなる」というのはどういうことなのでしょうか?
本書の内容を、nickの考えも交えて紹介していきます。
本書の結論は?

本書の結論は、アーティストの不祥事によるCDの自主回収、配信停止は音楽文化の衰退につながるとされています。
いったいどうゆうことなのでしょうか?
本書の内容を追って説明していきます。
アーティストの活動自粛や楽曲の配信停止の歴史

アーティストの不祥事による活動自粛自体は数十年前からありました。
しかし、CDやレコードの自主回収や販売停止、音楽配信サービスによる配信停止はここ最近の動きになります。
そのきっかけとなったのが、槇原敬之氏の1回目の逮捕になります。(1999年)
その際にレコード会社が出した文書はこちらです。
当社所属アーチスト、槇原敬之がマスコミ報道にありました通り、社会に反する不法行為の疑いで逮捕されました。この事件に伴い、当社から発売された CD全商品回収を致します。詳しい情報、回収に至るまでの経緯につきましては、明日 9/ 1(水)正式に発表させていただきます。対応が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
宮台真司, 永田夏来, かがりはるき:「音楽が聴けなくなる日」
これが恐らく、日本の音楽史上初の、〝ミュージシャンの逮捕を理由とした〟作品回収の例として本書で紹介されております。
また、最近ではテクノバンド「電気グルーヴ」のピエール瀧氏が麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕された際に、上のような対処を取られたことが記憶に新しいと思います。
ちなみに「薬物報道ガイドライン」には、「薬物依存症であることが発覚したからと言って、その者の雇用を奪うような行為をメディアが率先して行わないこと」が挙げられています。
このことから、作品の回収、出荷停止、配信停止は、ピエール瀧さんの回復とどう関係するのか?排除はむしろ逆効果なのでは?といった考えを中心に本書の内容は進んでいきます。
最終的に楽曲の聴く、聴かないの判断は消費者では?

現在Spotifyなどのサブスクリプションのサービスでは、アーティストごとにブロックをかけることができるようになっております。
性犯罪をした・非合法薬物を使ったなどのアーティストをチェックしておけば、その後は曲がかかることがないように消費者側でコントロールすることができます。
これらの機能は、日本を除く先進国で現実に実践されています。
反社会的な行為を行った人物の音楽など聴きたくない!
という意見もありますが、聴かなくて済む方法などはすでにあるのです。
nickとしては、今までにあったCDの自主回収や販売停止、楽曲の配信停止は、会社側の過剰反応では?と思います。
レコード会社としてはコンプライアンスなどの面子もあるかと思います。
しかし、今の世の中「レコード会社がどこであるか?」を見てCDを買ったり、楽曲を聴いたりする人はいないのではないでしょうか?
「CHAGE and ASKA」のマネジメント事務所の元・代表取締役であった大崎志朗氏は、ASKA氏が逮捕された際に行った自粛について以下のように振り返っておられます。
「僕たちも何に向かって自粛したのか、正体が見えないです。放送局の報道の仕方などいろんな原因があるにはあるんだけど、じゃあ誰に言われて、誰に脅されて、誰に対して自粛をしたのかって言われたら……答えはない、ですね。結局カーテンの向こうに誰がいるか、実は分かってないのです」
宮台真司, 永田夏来, かがりはるき:「音楽が聴けなくなる日」
自粛を決断した当の本人ですらもこのように思っていたそうです。
いったい誰のための活動自粛なのでしょうか?
このままだとどうなる?

このような流れがエスカレートしていくとその先に、音楽が聴けなくなる日はやってくるでしょう。
それは間違いないと思います。
品行方正な人間の音楽しか世の中に発信できなくなります。
これは一見いいことのようにみえます。
しかし、そもそも人間性と音楽性は一致しないとnickは考えております。
クラシック音楽の世界で見ますと、フランス印象派の名作曲家ドビュッシーは2度の不倫を行っており、当時の交際相手は二人とも自殺未遂を行っております。
こんなキレイな曲を書く方なのですが、人間関係はかなりドロドロしていたそうですね・・・
ですが、ドビュッシーの音楽が規制されることは、過去現在ともにありません。
それは、純粋に彼の音楽のみが評価されているからなのである。
(なお、ドビュッシーが上記のスキャンダルをきっかけに一時イギリスへ移住することとなり、多くの友人を失ったそうですがそれはまた別の話・・・)
聖書のエピソードの中に
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者がこの女に、まず石を投げなさい」
という言葉あります。
大なり小なり罪を犯したことのない人は、世の中にいるのでしょうか?
そんな人間しか音楽を世の中に発信してはいけないのでしょうか?
罪を一切犯したことのない人の楽曲を規制していく方向性は、いずれ音楽を聴くことができなくなる世の中に進んでいく方向性になります。
これは極端な意見かと思いますが、進んでいく方向に間違いがあるのは確かであると思います。
クラシックの作曲家を例にしましたが、アーティストの逮捕をきっかけとした自粛活動は日本独自のもので、諸外国ではみられない動きなのだそうです。
日本人よ、寛容になれ!?

では、これからどうしたらいいのでしょうか?
先程ご紹介した大崎氏はこのようにおっしゃられております。
「一番は、『寛容』になることだと思います。怒りとかストレスとか、ハラスメントが一日中ついて回るような今の世の中のキーワードは『許さない』ことだと思うんですよ。例えば国会議員が不倫してようが全然関係ないはずだけど、『不倫はいけない、許さない』とかいろんなものを許さない、許さない……って、どんどんシャープになってきて幅がなくなってきて、どんどん狭くなってきた価値観同士がぶつかり合うと、もう多勢に無勢で。『共存する世の中』『多様性』って口では言うけど、共存なんか全然できていないですよね」
宮台真司, 永田夏来, かがりはるき:「音楽が聴けなくなる日」
これは、コロナ禍真っ只中の日本ではなかなか難しいかもしれません。
しかし、目指していく方向性としては正しいとnickは思います。
どうしても「不寛容」な情報や報道は多いです。
ハラスメントは許されることではありませんが、部外者がどうのこうのいう必要はないと思います。
皆さんはどのように思われますでしょうか?
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