
どうも、nickです。
月曜の書籍レビューの時間です。
今回紹介する書籍は以下になります。
今回は金森修(かなもりおさむ)氏の病魔という悪の物語 チフスのメアリーを紹介していきます。
この本は、アメリカの女性メアリー・マローンが腸チフスの健康保菌者であったが為に、人生の大半で隔離生活を余儀なくされた人物の話になります。
そして、この本から学ぶべきコロナウイルスとの向き合い方について解説していきます。
チフスのメアリーって何者?

メアリー・マローン(Mary Mallon、1869年 – 1938年)は腸チフスという病気に感染していながらも発症することがなく、健康保菌者ということで長年に渡り身柄を拘束されてしまった人物です。
現在で言うところの「新型コロナに感染したが、無症状であった」に当たるかと思います。
しかし、当時は感染していながらも症状が出ないという例は珍しかったため、報道等でかなり過激に扱われてしまいました。
ちなみに、nickもノロウイルスに感染しながらも、症状がでなかった経験があります。(´ー`)
そんなメアリーの生涯は後に紹介させていただきます。
腸チフスってどんな病気?

腸チフスとはどんな病気なのか?
Wikipediaによると、次のような感染症なのだそうです。
チフスとは、高熱や発疹を伴う細菌感染症の一種で、広義には下記の三種の総称。サルモネラの一種であるチフス菌の感染によって発症する腸チフス。パラチフス菌の感染によって発症するパラチフス。発疹チフスリケッチアの感染によって発症する発疹チフス。狭義には、腸チフスとパラチフスの二種を指すことが多く、あるいは腸チフスのみを指すこともある。
Wikipediaより引用
主に開発途上国を中心に、東南アジア、中南米、アフリカなど世界各地で発生し、流行を繰り返しております。人間のみに感染し、患者や保菌者(病原体を体内に保有しているが感染症が発症していない人のこと)の便や尿で汚染された食品や水を摂取することで拡散するそうです。
日本国内でも昭和初期から戦後にかけて代表的な感染症の一つであったが、環境が整備され衛生面の進展に伴って患者数が減少。現在、国内の患者は海外での感染によって発症するが、渡航歴のない患者や食中毒事例が報告されており国内における保菌者からの感染もあるそうです。
メアリーは無症状であったがために、多くの人を無自覚に腸チフスに感染させてしましました。
メアリーの生涯

ここからはメアリーの波乱の生涯について紹介していきます。
北アイルランドからアメリカへ移住してくる。

メアリーが生まれてから、1度目の隔離のあいだまでのことはよく分かっておりません。
メアリーは1869年に現在の北アイルランドに生まれました。
その後、経済的な理由で1883年にアメリカに移住してきました。
1900年ごろより、メアリーが屋敷の賄い婦として働き始めたころから一家の周囲ではチフスの感染が広まりだした。
1907年に身柄を拘束されるまでに、メアリーは8つの家族のうち7つの家族からチフスの患者を出していました。
合計で22人の患者がでており、そのうち1人は死亡しておりました。
1度目の隔離

1907年、市衛生局において彼女の細菌検査を行なった結果、便からチフス菌を検出したため、ニューヨークのマンハッタンの近くにあるノース・ブラザー島の病院に、強制的に隔離されることとなりました。

現在は廃墟となっているそうです。

メアリーは隔離病院の離れの小屋で、隔離生活を余儀なくされてしまいます。
ですが、メアリーを検査をしたところ、体内からは菌が検出されるもメアリーが発症することはありませんでした。
当時は保菌していながらも症状が出ないという例は珍しく、検査結果を突きつけられてもメアリーは自身が感染者であることを認めなかったそうです。
治療も試みましたが、結果は思わしくありませんでした。
1909年、メアリーはこの強制的な隔離が不当であるとして裁判を起こしました。
裁判の際に、メアリーは大衆に対して「チフスのメアリー」という名で大々的に報じられてしまします。
当時の新聞記事が以下になりますが、だいぶ悪意をもって報じられているように思えます。

結局、裁判はメアリーが敗訴する形で決着が付きました。
突然の解放

しかし、裁判の敗訴からわずか6ヶ月後に、メアリーの解放が急遽決定しました。
その際に、メアリーは今後料理をしないという誓約書を書かされました。
1910に解放され、メアリーは晴れて自由の身となります。
解放されてからメアリーは、恋人を作るなど人生を謳歌していたそうです。
しかし、5年後の1915年に再び身柄を拘束されてしまいます。
この2度目の拘束は彼女が亡くなるまで続きました。
再度拘束される

1915年にニューヨークの病院で腸チフスの集団感染が起きました。
調べてみると、なんとその病院でメアリーが賄い婦として働いていることが発覚しました。
メアリーは誓約書を書いたにもかかわらず、偽名を使って食事を作る仕事をしていたのである。
メアリーは再度ノース・ブラザー島の病院に強制的に隔離されることとなりました。
2度目の隔離とその後の生涯

2度めのノース・ブラザー島の隔離は、彼女が亡くなるまで続きました。
その期間は23年と半年にも及びました。
隔離生活をしている最中にも、メアリーは検査を受けましたが結果は陽性であることの方が多かったそうです。
外科手術をするという治療法もあったそうですが、当時の医療技術ではリスクが高すぎたため手術には踏み込めなかったようです。
彼女の残りの人生は、島の病院で働きながら隔離生活を送ることとなりました。
働き始めたころより、日中のみではありますが島外への外出も認められるようになったそうです。
そして、1938年彼女は島内で息を引き取りました。
葬式の参列者はわずか9人で、非常に寂しい葬式だったようです。
nick的雑感 メアリーの例から考える、新型コロナへの対応
ここからは、この本を読んでnickが考える新型コロナへの対応について語っていきます。
無症状でも、ウイルスを広めているかも?

コロナに感染して症状が発症した人にばかり注目が集まっていますが、nickはコロナに感染していない、あるいは感染したが無症状である人こそ感染を広めないための行動を取るべきであると思います。
腸チフスの例では、腸チフスをこれ以上広めないためにメアリーを長期に渡って隔離せざるを得なかったのは、ある程度は仕方のないことでしょう。
(メアリーがなぜ、誓約書を破ってまで食事を作る仕事についたのかはわかりませんが・・・)
しかし、自分が広めてしまっているかもしれないという自覚を個人が持つことが大切なのだと、メアリーの話で感じました。
メアリー自身も、チフスの症状が発症しませんでした。
現代の新型コロナにおいても、発症しない感染者の例はいくらでもあります。
症状が出ていなくても、自分がウイルスを広めているかもしれません。
発症していない人こそ、感染拡大を広めないための行動を取るべきではないでしょうか?
そうしないためのマスク着用だったと思います。
最近のマスク着用のルールは、少しずれてきているようにnickは感じることがあります。
飛沫を飛ばさないためのマスクなので、感染を防止ではなく、感染を広めないためのマスク着用であったと思います。
報道のあり方について

メアリーの例では、メアリーに対して過激な言葉を使った報道がなされました。
メアリーの時ほどではありませんが、新型コロナにおいても感染者に対する報道ばかりが目立ちます。
感染を報道されてしまったことがきっかけで、自殺してしまった例も少なからず存在します。
我々にとって有益な情報は感染者数がどうとかよりも、どうすれば感染を広めずにすむのか?
そして、コロナ禍でどのように工夫をして皆が生活、仕事をしているのか?
これらの情報のほうが有益ではないでしょうか?
こういった情報こそ、取材をしてテレビなどで広めていくべきなのではないでしょうか?
正直、テレビのニュースやネットのニュース報道されるコロナ関連のニュースで、「ためになるな」と思ったことはありません。
今nickはテレビを見ておらず、ネットニュースも興味のあることに絞って表示されるようにしていますが、特に困ること思ったことはありません。
テレビやニュースサイトから勝手に与えられる情報ではなく、自分が欲しいと思う情報を収集する。
情報に対して受け身にならないということも大切です。
このコロナ禍において、あなたが本当に知りたいことはなんなのでしょうか?
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