
どうも、nickです。
月曜の書籍レビューの時間です。
今回紹介する書籍は以下になります。
今回は森博嗣氏の「集中力はいらない」を紹介します。
そして、なぜ集中力はいらないのか?そしてnick的な雑感として集中力に関する自身の経験と、人間の手で行うことの弊害について語らせていただきます。
なぜ集中力は必要ないのか?

なぜ筆者は集中力はいらないと言っているのでしょう?
それは、集中力以上に大切ことがあるからであると語っております。
作家の仕事で最も重要なことは、「着眼」と「発想」です。つまり、どこに注目するのか、そしてそこから何を思いつくのか、ということ。これらは、どうすればできるかといえば、とにかく、あらゆるものに目を向ける、きょろきょろと見回していること、そして、なにものにも拘らず、自由に素直に考えること、の二点だと思います。その意味では、作家に必要なものは「集中力」ではなく、むしろその逆の能力ではないかと思います。
森博嗣:集中力はいらない
著者を多くの小説も執筆されるので、「着眼」と「発想」に重きを置いた考え方となっております。
この「着眼」と「発想」は、集中からは生まれてこないのだそうです
外出したり、気分転換を図るなどしてリラックスする時間を取った時に、ふと何かに気がつくことがあるそうです。
皆さんにも経験があるのではないでしょうか?
そして、本書ではやる気やモチベーションについても否定的な意見をなされております。
いいからやれ、行動しろ。

筆者はやる気やモチベーションについて次のように語っています。
とにかく大事なことは、やる気ではなく、やるかやらないかなのです。そして、やるために必要なものは、計画です。計画を立てたら、あとは、監督の自分に叱られつつであっても、嫌々であっても、それをするしかない。この段階に至れば、あとは本当に実行あるのみで、あまり考えなくても良く、悩むことも少なくなりますから、楽なルーチンになるはずです。
森博嗣:集中力はいらない
物事は「やる」か「やらない」かの2択でしかありません。
これは多くのブロガーの方やインフルエンサーの方もおっしゃられているかと思います。
モチベーションについても同様です。
大切なのは、集中力やモチベーションに頼らすとも行動できることであります。
習慣化に関する本でも、やる気やモチベーションをに頼ることを否定している本は多いです。
「やる」とにかくやるしかないのです。
そして、やる気やモチベーションに頼らないことは物事を長続きさせるコツにも繋がってきます。
長く続けるコツは、無理をしないこと?
筆者は記者にインタビューで、「長続きしないという悩みはないのですか?」という質問を投げかけられた時に、次のように答えました。
身も蓋もない答になりますが、難しかったら、無理にやり遂げなくても良いのではないでしょうか。その方法が自分に合わないから、難しいと感じるわけで、もっと簡単にできる方法を探すべきです。もちろん、多少の困難さはどんなものにもあります。抵抗がなかったら、やり甲斐もありませんし、そもそもやる意味もないでしょう。
森博嗣:集中力はいらない
筆者自身は、集中して執筆ができるのは10分程度であるとおっしゃられています。
10分たったら別のことをして、また執筆に戻っているのだそうです。
この作業の仕方は、世間一般で言うところの「集中している」とは言えないのではないでしょうか?
簡単にできることから始めるということは、習慣化における最初のステップになります。
何か続けたい事があるのでしたら、かんたんなことから始めるようにして下さい。
nick的雑感
集中力を信仰させる教育

日本では、学校や職場に限らず何かに取り組む、あるいは取り組ませる時にとにかく「集中せよ」を教えられることが多いと思います。
今までのことを思い返してほしいのですが、集中したからといって成果が出たりミスなく作業ができたりしたことがあったでしょうか?
nickも、楽器の実技試験や演奏会で

「人生で1番集中するぞっぉおぉぉ!」
と思って集中して演奏に望んでも、ミスを普通に起こしていました。
nickの場合はどちらかと言うと、楽器の調子のいい時ほど体の色んなところに意識が分散できていると感じています。
(息の流し方、演奏のイメージ、アンサンブルへの意識などなど・・・)
調子のいい時ほど、本書で言うところの集中していないことが多いです。
集中したからといって、絶対にミスを起こさなかったり、その度合で結果が出るなどと言ったことはないと考えます。
なのに人は集中を求める。なぜなのでしょうか?
集中すればすべてがうまくいくという幻想は捨て去るべきであるとnickは思います。
集中が必要なことは機械に任せてしまえ

著者は機械技術について次のように述べておられます。
機械化される以前から、数々のシステムが構築されてきた。重要な事項については、複数回チェックしたり、複数人で確認したりする。それでも、まだ絶対とはいえない。確率的にミスが生じることは必然であり、あらゆる機械、あらゆるシステムは、とんでもない失敗や大事故にならないよう安全のためにデザインされてきた。 そう、機械は滅多に失敗しない。コンピュータも計算ミスをしない。よほどのことがないかぎり、人間のようなうっかりミスをしない。よほどのことが起こるのは、たいてい人間が間違った設定をしたときか、機械の指示に従わなかったときくらいだ。
森博嗣:集中力はいらない
「最後は人の手で」という信仰も未だに根強いかと思います。
しかし、人の手が入ったがためにミスが起こってしまっていることに気づいていない人が多いように感じます。
nickの職場でも、人の手によるチェックを多くしたがために、起こしてはいけないミスが連発してしまう事例がありました。
そのたびに「集中」してミスが起こらないようにと、上からお達しがきます。
もはや、何が行われているのかよくわかりませんね・・・
さらに著者は次のようにも述べられておられます。
今後、機械化がさらに進み、 AIが人間に代わって多くの仕事をこなすようになる。仕事がなくなると危惧する声も多いが、仕事なんてなくなれば良いのではないか、と僕は考えている。機械に任せられるなら、任せれば良い。人間は今よりも自由になる。自由になったら、無駄な道草をして楽しめば良い。 これまで、社会が人間に「集中しなさい」と要求したのは、結局は、機械のように働きなさいという意味だったのだから、そろそろその要求自体が意味を失っている時代に差し掛かっているということである。
森博嗣:集中力はいらない
仕事が機械(ないしAI)に奪われたら、人はどうすればいいのか?などの意見がよくありますが、機械やAIにできないことは技術が発達した現代にもあります。
それこそが、著者がおっしゃられていた「着眼」と「発想」の2つなのです。
なぜなら、この2つのことはAIにはできないからなのです。
AIだって、人間の「着眼」と「発想」から生み出されたものです。
これからは、集中が必要なことは機械に任せてしまい、人間にしかできないクリエイティブなことに「集中」できるようにしていくべきなのではないでしょうか?
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