【大人のための音楽鑑賞】海軍と作曲家の2足のわらじ。リムスキー=コルサコフとは何者なのか?わかりやすく解説します。

リムスキー=コルサコフ
nick hosa
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どうも、nickです。

大人のための音楽鑑賞の会です。

今回から解説する楽曲はこちらです。

今回はリムスキー=コルサコフ作曲の交響組曲『シェエラザード』を、2回に分けてわかりやすく解説していきます。

前編となる今回は作曲者であるリムスキー=コルサコフについて解説します。

リムスキー=コルサコフとは?

ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー=コルサコフ(1844年 – 1908年)はロシアの作曲家です。

彼はロシアの西洋音楽発展にとても大きく貢献した人物になります。

生い立ち

幼少期

リムスキー=コルサコフは1844年に軍人貴族の家庭に生まれました。

リムスキー=コルサコフの家には小さなピアノがあり、それを弾いているうちに彼は音楽の才能に目覚めてゆきます。

ですが、12歳でサンクトペテルブルクの海軍兵学校に入学し軍人としての教育を受けていきます。

軍人と作曲家の2足のわらじ

十五歳ごろから本格的なピアノの練習を始めたリムスキー=コルサコフは、1861年にバラキレフと出会い真剣に作曲に打ち込むようになりました。

リムスキー=コルサコフは航海演習のない時にバラキレフから作曲の指導を受けるようになりました。

またバラキレフとの出会いによって、後の「ロシア五人組」(後述)の一員となる他の作曲家とも知り合いになりました。

リムスキー=コルサコフ最初交響曲である『交響曲第1番』は、まだ海軍在籍中に完成されました。

こちらの作品は1865年の初演後、好評を博して「ロシア人による前代未聞の交響曲」と呼ばれました。

この作品以降もリムスキー=コルサコフは海軍に在籍しながらいくつかの作品を発表していきました。

ロシア5人組とは?

ロシア5人組(力強い一団とも呼ぶことあり)とはミリイ・バラキレフを中心として19世紀後半のロシアで民族主義的な芸術音楽の創造を志向した作曲家集団を指す呼び名です。

メンバーは次のとおりです

  • ミリイ・バラキレフ
  • ツェーザリ・キュイ
  • モデスト・ムソルグスキー
  • アレクサンドル・ボロディン
  • ニコライ・リムスキー=コルサコフ

彼らは西洋音楽の理論を用いてロシア独自のクラシック音楽の創作を目指して活動していました。

彼らの活動は近現代におけるロシアの西洋音楽の発展に大きく貢献しました。

※参考 ムソルグスキーと「展覧会の絵」

音楽院の教授に異例の抜擢

1871年、リムスキー=コルサコフはペテルブルク音楽院から作曲と管弦楽法の教授に任命されました。

音楽学校を出ず、独学で作曲していた人物が音楽学校の教授に任命されることは極めて異例でした。

音楽学校で音楽理論を学ぶことのなかったリムスキー=コルサコフは、音楽院での最初の数年間は和声法や対位法について勉強しながら教授の仕事をこなしていきました。

指揮者としての活躍

リムスキー=コルサコフは指揮者としても活動するようになっていきます。

リムスキー=コルサコフは1889年に行われたパリ万国博覧会において、ロシア音楽の演奏会の指揮者を務めました。

パリ万博の様子を描いた絵

パリ万博の演奏会では自作曲の他、ミハイル・グリンカ、アレクサンドル・ボロディン、ムソルグスキーなどのロシアの作曲家の楽曲をフランスに紹介しました。

この時の演奏会には若き日のクロード・ドビュッシーモーリス・ラヴェルも聴衆として参加しておりました。

月の光」などの曲で有名なドビュッシー
「ボレロ」の作曲でお馴染みのラヴェル

※参考 ラヴェルと「ボレロ」について

政治批判と突然の解雇

リムスキー=コルサコフは貴族の出自ではあったが、ロシア帝国の近代化の立ち遅れに批判的であり、学生の革命運動にも同情的でありました。

1905年、リムスキー=コルサコフは政府批判を行なったためにペテルブルク音楽院の教授職を解雇されてしまいます。

これをきっかけに、彼を慕う多くの同僚が相次いで音楽院を辞職するという騒ぎが起こりました。

これによって、リムスキー=コルサコフは音楽院を復職することとなりました。

また、リムスキー=コルサコフが最後に手がけたオペラ「金鶏」は、ストーリーが風刺的で明らかに帝政ロシアに対する体制批判であったため検閲を通過できず、初演となったのがリムスキー=コルサコフが亡くなってからとなってしまいました。

晩年

解雇騒ぎのあった数年後、リムスキー=コルサコフは1908年に狭心症によって他界してしまいます。

リムスキー=コルサコフはアレクサンドル・ネフスキー大修道院のティフヴィン墓地に埋葬されました。

指導者として

リムスキー=コルサコフは管弦楽法の大家として知られており、「管弦楽法の基本」といった実践理論に関する著作をいくつか残しています。

また卓越した教師としても生前有名であったリムスキー=コルサコフは、多くの著名な作曲家たちに作曲を教えていました。

なかでもグラズノフストラヴィンスキーのほか、プロコフィエフなどを輩出しました。

またイタリアの作曲家レスピーギも若いころロシアで彼に作曲を学んでいます。

「ローマ三部作」の作曲者のレスピーギ

※参考 レスピーギと「ローマの松」

直系の日本人の弟子としては金須嘉之進がいます。

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ちなみに、彼の作曲の弟子の1人が古関裕而になります。

甲子園のテーマ曲「栄冠は君に輝く」を作曲し、NHK連続テレビ小説『エール』において「古山裕一」のモデルとなった古関裕而

主な作品

ここでは「シェエラザード」以外のリムスキー=コルサコフの作品を紹介します。

スペイン奇想曲

こちらの楽曲は吹奏楽コンクールで演奏されることもあります。

トロンボーン協奏曲

こちらは吹奏楽伴奏によるトロンボーンのソロ曲という、当時としては珍しい編成の楽曲になります。

熊蜂の飛行

おそらく誰しもが聞いたことのある楽曲でしょう。

もともとはオペラ『サルタン皇帝』の間奏曲として作曲された曲であり、主人公が魔法の力で蜂に姿を変えて都へ飛んでいく場所で使われております。

アレンジなども豊富にされており、映画「キル・ビル」での使用された「グリーン・ホーネット」が中でも有名です。

まとめ

今回のまとめは次のとおりです。

・リムスキー=コルサコフは「ロシア5人組」の一員として活動し、ロシアのクラシック音楽発展に貢献した

・キャリアの前半は海軍に所属しながら作曲活動を行なっていた

・指導者としても優秀であったリムスキー=コルサコフは多くの優秀な作曲家を世に輩出した

次回は組曲「シェエラザード」について解説していきます。


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いかがだったでしょうか?

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( `Д´)/ジャマタ

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