どうも、nickです。ざっくり音楽史の中世編です。
今回は主に、10世紀〜14世紀ごろの西洋音楽について解説していきます。
キリスト教との結びつき
中世の西洋音楽の発展は、キリスト教と密接な関係にあります。
国教となったキリスト教
西暦392年、古代ローマ帝国の皇帝テオドシウス1世はこう言いました。
キリスト教をローマ帝国の国教とします。
テオドシウス1世がキリスト教をローマ帝国の国教と宣言したことを境に、教会音楽はヨーロッパ中に広がっていくこととなりました。
それと同時に、それまでは口承されていた旋律を正確に記録するための楽譜が考案され、音楽の理論化が行われるようになっていきました。(楽譜については後述)
これには教会音楽とは「神の国の秩序を音で模倣するもの」であり、理想的で正確に記述されるべきものという信念が背景にあったと考えられています。
これらのことから、今後西洋音楽は五線譜を用いた記譜法、和声法や対位法などの音楽理論へと発展していくことになります。
グレゴリオ聖歌の成立
6世紀から7世紀にかけて、当時のローマ教皇、グレゴリウス1世は次のように言いました。
聖歌隊を育成するための歌学校を作るぞ。
彼はスコラ・カントルムと呼ばれる聖歌隊を養成するための学校を整備・拡充し、聖歌隊の質の向上と音楽の発展を目指しました。
また、グレゴリウス1世は次のようにも言いました。
バラバラに歌われている聖歌を統一するぞ。
彼がまとめたとされる聖歌は、彼の名を冠して「グレゴリオ聖歌」と呼ばれます。
グレゴリオ聖歌は単旋律・無伴奏の合唱曲で、聖書の言葉からなるラテン語を歌詞としています。
グレゴリオ聖歌は中世の教会音楽の基礎となり、修道院や教会で歌われ、伝承されていきました。
楽譜の登場
初期の聖歌は全て口伝えで伝えられていました。
ですが、口伝えでは伝言ゲームのように伝えていくうちにメロディーやリズムが変わっていってしまうという欠点がありました。
そこで9世紀終わりごろに「ネウマ」とよばれる記号が歌詞の上に手書きで書かれるようになりました。
しかし初期のネウマは旋律のすすむ方向(上行か下行か)や旋律パターンを大まかに指示するだけで、音の長さや絶対的な音程については曖昧なままでした。
また、ネウマの書き方は当時は特に決まっておらず、メモ書き程度のものであったため知らない歌をネウマから読み取って歌えるようなものではありませんでした。
グイード・ダレッツォの楽譜改革
11世紀初め、イタリアにグイード・ダレッツォという音楽理論家がいました。
グイードはある日、こう思いました。
楽譜に4本の直線を引いてネウマを書いたら見やすいのでは?
グイードは、ネウマ譜に数本の線を引くことで音の絶対的な高さを示すことに成功しました。
ダレッツォさらには、、現在のドレミのもとになる階名唱法を考案して楽譜の視唱を容易にする仕組みを作りました。
また、自らが指導する合唱団に音程を教える工夫として「グイードの手」を考案しました。
楽譜や階名唱法の発明により、西洋音楽は今後より発展していくことになります。
中世期の音楽的特徴と変遷
グレゴリオ聖歌のような初期の中世音楽は、単旋律(モノフォニー)を基本としております。
グレゴリオ聖歌には今日一般的に広く用いられている「長調」「短調」の音階システムではなく、教会旋法が用いられています。
多声音楽へ
12世紀後半までは2声の音楽が基本でした。
ですが、12世紀ごろよりノートルダム楽派と呼ばれる作曲家たちが現れました。
ノートルダム楽派の作曲家は言いました。
聖歌の主声部下に第2の声部を追加するぞ。
この追加された声部のことを、オルガヌムと呼びます。
この頃の和声は5度を基本としており、現代とは異なり3度や6度は不協和音という扱いでした。
このことによって、本格的にポリフォニー(多声音楽)が開拓されることになっていきます。
ギヨーム・ド・マショーの登場
14世紀ごろのフランスにギヨーム・ド・マショーという作曲家が現れました。
彼はアルス・ノーヴァ(Ars nova)と呼ばれる新しいリズムの分割法と記譜法を使って作曲を行なっていました。
また、マショーは次のこと実行しました。
6つ別々の人が作曲してきたミサ通常文を、1人で全部作曲するぞ。
ミサ通常文とはカトリック教会のミサで歌われる6つの曲で、キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイで構成されています。
それまでは、6つの曲を別々の作曲家が書いていましたが、マショーは音楽史上初めて一人で6曲のミサ通常文を作曲し、1つの曲として収めました。
その曲がノートルダム・ミサ曲(Messe de Nostre Dame)と呼ばれる曲になります。
マショーの試み以降、後世の作曲家たちもミサ曲を1人で書くようになっていきます。
活版印刷の始まり
ヨーロッパでは1445年頃にグーテンベルクによる活版印刷が始まったとされています。
これまでヨーロッパでの本の生産は手書きによる書き写しか木版印刷であったため、活版印刷はヨーロッパでの本生産に一大変革を起こしました。
その後、1501年に初めて印刷による楽譜が出版されたとされます。
印刷技術の発展に、「楽譜を不特定多数に販売する」というビジネスが成り立つようになりました。
これにより、後に時代から作曲家は王族や教会などの権力者に雇われるというライフスタイルから、楽譜を出版して生計を立てるというライフスタイルへと変化していくことになります。
世俗音楽の発展
その一方で、中世の時代は世俗音楽も盛んであったことが推察され、その記録は11世紀末以降から残り始めています。
その担い手はトルバドゥール・トルヴェール・ミンネジンガーなどの宮廷歌人や吟遊詩人、ジョングルール(大道芸人)などでした。
また靴屋の親方でもあるハンス・ザックスの登場など、音楽が民衆にも広く楽しまれるものとなってきました。
14世紀頃より教会の音楽理論が世俗音楽へ流れ始め、やがて教会の外でも西洋音楽は発展していくことになりました。
カルミナ・ブラーナの発見
1803年、ベネディクトボイエルン修道院の蔵書を整理中、13世紀前半に書かれたと推測される古い歌が多数記された写本が発見されました。
この写本の約四分の一の作品には、ネウマによって簡単な旋律が付けられておりました。
この写本は、後に編集されて『ボイエルンの歌』(カルミナ・ブラーナ)という題名で出版されました。
この詩からインスピレーションを受けた作曲家、カール・オルフは後に、その中から24の詩を選んで大規模な世俗カンタータを作曲しました。
参考
Wikipedia 音楽史
すぐわかる! 4コマ西洋音楽史 1~古代・中世~バロック初期~
洗足オンラインスクール
はじめての音楽史: 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで
音楽史 <作曲家とその作品>
いかがだったでしょうか?
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( `Д´)/ジャマタ
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