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どうも、nickです。
大人のための中学音楽鑑賞の回です。
今回からは次の曲を解説していきます。
今回からムソルグスキー作曲、ラヴェル編曲の「展覧会の絵」を数回に分けて解説していきます。
本作はもともと、ピアノのための曲でしたが、をオーケストラ用にアレンジされたことで有名になりました。
第1回目の今回は、作曲者の紹介と作品が編曲されるまでの経緯をわかりやすく解説していきます。
作曲者の紹介
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モデスト・ペトローヴィチ・ムソルグスキー(Modest Petrovich Mussorgsky, 1839年 – 1881年)は、ロシアの作曲家です。
彼が作曲した曲は、「展覧会の絵」以外では「禿山の一夜」が有名です。
この作品は「聖ヨハネ祭前夜、禿山に地霊チェルノボーグが現れ手下の魔物や幽霊、精霊達と大騒ぎするが、夜明けとともに消え去っていく」とのロシアの民話を元に作曲されています。
ディズニーの「ファンタジア」でアニメーションがつけられた作品としても有名ですね。
ムソルグスキーは6歳から母の手ほどきでピアノを始めました。
13歳で士官候補生になるなど、将来が期待されていましたが、その後の人生はあまりいいものではありませんでした。
”アル中公務員”ムソルグスキー
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大人になったムソルグスキーは、公務員として働きながら作曲を続けていきました。
しかし、1865年頃から深刻なアルコール依存症の兆しが見え始めました。
公務員としてと働いていたムソルグスキーですが、職務は安定しておらず、余剰人員と宣告されたため出勤しても無報酬でありました。
結局アルコールを抑えることができず、1881年に4度の心臓発作に見舞われた後、42歳で亡くなってしまいました。
悲惨な最後を迎えてしまったムソルグスキーですが、彼は「ロシア五人組」の一人として、ロシアにおける西洋音楽の発展に貢献しました。
ロシア5人組とは?
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ムソルグスキーが所属していたロシア5人組(ロシア語の直訳は「強力な集団」)は、19世紀後半のロシアで民族主義的な芸術音楽の創造を志向した作曲家集団の5人を指します。
彼ら5人の活躍により、ロシアの西洋音楽の文化が定着し、発展していくことになります。
現代のロシアでクラシック音楽が盛んになったのは、彼らのおかげでもあります。
メンバーは、ムソルグスキーの他に次の4人になります。
- バレキレフ
- キュイ
- ボロディン
- リムスキー=コルサコフ
”リーダー”バラキレフ
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バラキレフは「近代ロシア音楽の父」と言われたグリンカの影響を受けて、ロシア音楽の普及と発展に勤めた人物です。
また、ロシアにおける音楽教育と音楽普及のための慈善施設として、バラキレフは無料音楽学校の設立を推進しました。
彼は「5人組」のまとめ役として他の4人を牽引しました。
”軍事学校教授”キュイ
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キュイはロシア国内においては、軍事教育家として評価されている人物でした。
その一方で、作曲活動を行っていました。
キュイは他の5人組のメンバーとは違い、歌曲やオペラを多数作曲しました。
”化学者”ボロディン
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ボロディンは化学者でありながら作曲家としても評価がされていたという、極めて珍しいキャリアを持った作曲家です。
彼の作品で最も有名な曲は、オペラ「イーゴリ公」のダッタン人の踊りではないでしょうか?
化学者としてのボロディンは、ボロディン反応という化学反応を発見しております。
また、求核付加反応の一つであるアルドール反応を発見しました。
ボロディンは化学者としても収入を得ており、特にアルデヒドに関する研究によって非常に尊敬されていたそうです。
”海軍士官”リムスキー=コルサコフ
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軍人貴族の家庭に生まれたリムスキー=コルサコフは、12歳で海軍兵学校に入学したのちロシア海軍に所属しながら作曲を始めました。
彼の代表作としては、冒頭のヴァイオリンのソロが印象的な交響組曲「シェヘラザード」が有名です。
またコルサコフは後に、ペテルブルク音楽院の作曲と管弦楽法の教授となり、後身の指導に励んでいきます。
指導者としてのコルサコフも非常に有名で、彼の門下生にはグラズノフやストラヴィンスキー、ロシア出身者以外ではイタリアのレスピーギなど、後の大作曲家たちが多数います。
展覧会の絵について
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本作品はムソルグスキーの友人であるガルトマンが亡くなった際に行われた個展を見に行った時の印象を表現した音楽になります。
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しかし「展覧会の絵」はムソルグスキーの生前は一度も演奏されず、出版もされることがありませんでした。
この曲が日の目を浴びることになったのは、フランスの作曲家ラヴェルがオーケストラ用にアレンジして発表したことがきっかけでした。
アレンジの価値を高めたラヴェル
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本作品はもともと、ピアノ独奏のための曲です。
ですが、「展覧会の絵」はムソルグスキー自身が「オペラ作曲中の気晴らしに絵画のような作品集を書いた」と述べていたため、生前には演奏も出版もされませんでした。
ムソルグスキーの死後、遺稿の整理をしていたリムスキー=コルサコフが、偶然「展覧会の絵」のピアノ譜を発見したことをきっかけに、楽譜が出版されることになりました。
ピアノ譜の出版から約40年後の1922年、フランス作曲家のラヴェルが、指揮者クーセヴィツキーの依頼で『展覧会の絵』を管弦楽へと編曲しました。
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このオーケストラバージョンの「展覧会の絵」は、クーセヴィツキーが指揮するオーケストラによって演奏されました。
これをきっかけにムソルグスキーの名前と曲はは世界的に有名になった。
他人の曲を拝借しているので、一歩間違えれば「パクリじゃないか!」と批判されても不思議ではありません。
しかし、ラヴェルのアレンジがあまりにも完成度が高すぎたため、そのようなことは言われませんでした。
アレンジの地位を引き上げたラヴェルは、やはりただ者ではありません。
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ラヴェルについては「ボレロ」の解説時に詳しく説明しています。
こちらの記事からご覧になって下さい。
まとめ
今回のまとめは次のようになります。
・ムソルグスキーはロシアの作曲家で、公務員として働きながら作曲活動を行なっていた
・ムソルグスキーはロシア5人組の一員として、ロシアのクラシック音楽発展に努めた
・「展覧会の絵」は現在では有名ですが、ムソルグスキーの生前には演奏されることがなかった
・「展覧会の絵」はラヴェルがオーケストラ作品としてアレンジし直すことで、世界中から評価されるようになった
「展覧会の絵」が音楽史上における重要なポイントは、原作とアレンジとの関係性にあるとnickは考えます。
次の解説では、その点も踏まえた上で解説していこうと思います。
次回は鑑賞のポイントと、楽曲の詳しい解説をおこないます。
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