どうも、nickです。
大人のための音楽鑑賞の回です。
今回解説する楽曲はこちらです。
今回はサン=サーンス作曲の交響詩「死の舞踏」を2回に分けてわかりやすく解説していきます。
前編は「作曲者」と「死の舞踏とはなにか?」について解説します。
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カミーユ・サン=サーンス(Camille Saint-Saëns)は、19世紀から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの作曲家、オルガニストです。
彼は多作な作曲家として知られ、幅広いジャンルの作品を残しました。
1835年にフランスのパリで生まれたサン=サーンスは幼い頃から音楽の才能を示し、若干10歳で最初の公開演奏会を行いました。
その後彼はパリ音楽院で学び、優れた作曲家、オルガニストとしての能力を開花させました。
サン=サーンスについては以前の記事にて詳しく解説しておりますので、そちらをご参考ください。
死の舞踏とは?
交響詩「死の舞踏」(Danse Macabre)は、フランスの作曲家カミーユ・サン=サーンスによって作曲されたオーケストラ作品になります。
この作品は、1875年に初演されて以来、サン=サーンスの最も有名な作品の一つとなっております。
「死の舞踏」はフランスの詩人アンリ・カザリスの詩からインスピレーションを得て作曲されました。
「死の舞踏」ではサン=サーンス特有のオーケストラの力強さと色彩豊かさを駆使して、幻想的な世界を描き出しています。
そのため、現在では「死の舞踏」はサン=サーンスの代表作として世界中で広く演奏され続けています。
美術における死の舞踏
美術史における「死の舞踏」は、中世ヨーロッパの美術や文学における一連のモチーフやテーマの一つを指しております。
このモチーフは死という普遍的なテーマを扱い、人間が死を避けることはできないことを示唆しています。
「死の舞踏」は、14世紀から15世紀のヨーロッパで特に人気を博したモチーフであり、中世の死の観念や宗教的信仰に深く根ざしています。
この時期、黒死病(ペスト)と呼ばれる大流行病がヨーロッパを襲い、多くの人々が亡くなっていきました。
このような状況下で、「死の舞踏」は人々の死に対する恐怖や不安を表現する1つの手段として用いられてきました。
「死の舞踏」ではしばしばダンスを踊る死者たちが描写されました。
骸骨や死神など、死を象徴する存在が生者と一緒に踊りすべての人間が死に至る運命にあることを示しています。
これには諸説ありますが、14世紀のフランス詩に「死の恐怖に人々が半狂乱になって踊り狂う」という一説があるというところから来ているそうです。
このモチーフは連鎖的な形式で描かれ、王や貴族、聖職者、農民など、社会のあらゆる階層の人々が一緒に踊っている様子が表されます。
ここでのダンスは、死との対話や解放といった象徴的な意味を持っています。
「死の舞踏」は、主に壁画や版画などの形式で表現されました。
特に、ヨーロッパの教会や修道院の壁画に頻繁に描かれ、死者の魂を救済するための宗教的なメッセージとしても機能していたとされます。
サン=サーンスの交響詩「死の舞踏」は、この中世のモチーフを音楽的に再解釈したものです。
彼の作品は、中世のダンスのリズムやフランスの民間伝承からの要素を取り入れながら、死というテーマを幻想的に表現しています。
サン=サーンスの「死の舞踏」は、美術史の伝統的な「死の舞踏」の表現と音楽が融合し、新たな芸術の形として昇華させた作品といえます。
※参考:美術における「死の舞踏」のゆっくり解説
いかがだったでしょうか?
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( `Д´)/ジャマタ
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