【大人のための音楽鑑賞】どちらが副業?兼業の天才作曲家、リヒャルト・シュトラウスの生涯とは?

R.シュトラウス
nick hosa
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どうも、nickです。

大人のための音楽鑑賞の回です。

今回からは、次の作品を解説していきます。

今回からリヒャルト・シュトラウス作曲の「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」を解説していきます。

この楽曲は、ドイツの民話をオーケストラによって巧みに表現された楽曲になります。

鑑賞の授業にも使っていけるとnickは思います。

1回目である今回は、作曲者であるリヒャルト・シュトラウスの生涯について解説していきます。

リヒャルト・シュトラウスとは?

リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス(Richard Georg Strauss、1864年 – 1949年)は、ドイツの後期ロマン派を代表する作曲家です。

シュトラウスは、バイエルン王国(当時)のミュンヘンでミュンヘン宮廷歌劇場の首席ホルン奏者であったフランツ・シュトラウスの子として生まれました。

シュトラウスは幼いときから父親による音楽教育を受け、非常に早い時期から作曲を始めました。

そして12歳の時に〈祝典行進曲〉という作品を書き上げました。

18歳の時にミュンヘン大学に入学しますが、すぐにベルリンへと移って指揮者として活動を始めることとなります。

当時ヨーロッパ最高の指揮者だったシュトラウス

ベルリンで短期間の就学の後、シュトラウスは指揮者のハンス・フォン・ビューローのもとで指揮法の指導を受けました。

職業指揮者の先駆け的な存在だったビューロー

シュトラウスは指導を受ける傍ら、ビューローの補助指揮者という職を得ることになりました。

そして1885年にビューローが楽団の指揮者を辞任すると、その後を引き継ぎました。

シュトラウスは、当時親交のあったグスタフ・マーラーと同様に、作曲家としてのみならず指揮者としても著名でありました。

ドイツの作曲家兼指揮者でもあったマーラー

指揮者としてのシュトラウスもとても優秀で、後にヨーロッパでトップクラスの歌劇場であるベルリンやウィーンの歌劇場でも客演指揮者として活躍しました。

彼は、当時ヨーロッパで最高クラスの指揮者として今後も活躍していきます。

指揮をするシュトラウスの写真

シュトラウスの演奏は自作自演も含め、数多くの録音が残されており、その姿は写真のみならず映像でも見ることができます。

※シュトラウス本人の指揮による「ティル・オイレンシュピーゲル」の貴重な映像

また、この時期に指揮者の仕事と並行して作曲したのが、交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」になります。

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冒頭の曲は映画「2001年宇宙の旅」のオープニングで使われることで有名ですね。

その後もシュトラウスは、指揮者と作曲家の二足のわらじを履きながら活動していきます。

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このように、作曲家にとって兼業、副業は当たり前なのです。

充実(?)の結婚生活

1894年、シュトラウスはある音楽祭で指揮していた時にソプラノを歌っていた歌手のパウリーネとたちまち恋に落ち結婚しました。

1900年ごろのパウリーネの写真

ですがパウリーネは、いわゆる悪妻として有名でした。

パウリーネについては、友人であるマーラーが妻のアルマに宛てた手紙の中で次のように語っています。

マーラーは語る
マーラーは語る

パウリーネは私を出迎えると自分の部屋に私を引っ張り込み、ありとあらゆるつまらぬ話を豪雨のように浴びせかけ、私に質問の矢を放つのだが、私に口を出す暇を与えないのだ。

それから疲れて寝ているシュトラウスの部屋へ、私を両手で掴んで有無を言わせず引っ張って行き、“起きてちょうだい、グスタフが来たのよ!”と言ってシュトラウスを起こすのだ。

シュトラウスは苦笑しながら起きると、今度は3人で先程の話の蒸し返し。それからお茶を飲み、パウリーネに土曜日の昼食を一緒にすることを約束させられて、2人に宿泊先のホテルまで送ってもらった。

パウリーネは大変な癇癪持ちで、人前でもたびたび感情を爆発させ、シュトラウスのことを罵倒していたそうです。

しかし、当のシュトラウス本人は「私にはこういう妻が必要なんです」と言っていたそうです。

このことから、シュトラウスにとってパウリーナは悪妻ではなかったようです。

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そんなパウリーネとの生活を、シュトラウスは「家庭交響曲」と言う曲で表現しています。

シュトラウスは生前、「どんなことでもオーケストラで表現することができる」と語っておりました。

それだけ、自分の書く楽曲に自信があったということなのだと思います。

著作権をめぐってヒトラーに直訴

金銭への執着が強かったシュトラウスは、38歳の時に「ドイツ作曲家組合」(のちのドイツ音楽著作権協会)という組合を立ち上げました。

この組合はマーラーなど当時の有力な作曲家たちが名を連ねました。

シュトラウスたちは作品の上演権を出版社ではなく作曲者側に与えること、そして死後30年で切れる著作権料を50年に延長させることを実現させようとしました。

ですが、楽譜の出版社からは激しい抵抗を受けました。

そこでシュトラウスは、当時ナチス党の指導者であったアドルフ・ヒトラーにこのことを直訴しました。

その結果直訴は無事に成功し、シュトラウスら作曲家たちはより安定した収入を得られるようになりました。

著作権という考え方に馴染みのなかったであろう当時としては、シュトラウスの起こした行動は多くの作曲家たちに貢献することとなりました。

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当時ドイツの独裁者であったヒトラーへ直訴できたということは、当時のシュトラウスの地位はドイツ国内でとても高かったのだと思われます。

シュトラウスとヒトラーの関係は、日本との関わりへと繋がっていきます。

日本との意外な関わり

実はシュトラウスは日本とも少なからず関わりのあった作曲家でもあります

1940年にシュトラウスは、日本のために「日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲」と言うを作曲しました。

1940年は、神武天皇の即位から数えて2600年という大きな区切りの年でした。

日本政府はこの年を明治維新以来の近代化の成果を全世界に問う特別な1年にしようとするために、祝賀行事の一環として「紀元2600年奉祝楽曲演奏会」を開催することを決定しました。

そこで日本政府は、当時同盟関係にあったドイツにこの祝賀行事で演奏するための曲を書いてくれる作曲家の斡旋を依頼しました。

そこで、当時ドイツの政権を握っていたナチス党から推薦されたのがR.シュトラウスでした。

シュトラウスはナチスの求めに応じて、同盟国である日本のために曲を作曲しました。

あのリヒャルト・シュトラウスが日本のために曲を書くということで、当時とても話題となり人々の関心を大いに集めました。

※当時のNHKによるニュース映像

なおシュトラウスは、第二次世界大戦終結後ナチスに協力した疑いで連合国側から裁判にかけられてしまいました。

ですが、結果は無罪となり無事釈放されました。

晩年とこだわりの死

終戦後シュトラウスは先ほどの裁判の被告となったこともあり、表だった活動は控えていました。

ですが、周囲からのすすめもあり徐々に活動を再開していきました。

しかしすでに、シュトックハウゼンブーレーズジョン・ケージといった前衛作曲家達が登場し始めていた時代であったため、シュトラウスの作品は時代遅れとされました。

シュトラウス自身も戦後すぐのインタビューで次のように語っていたそうです。

R.シュトラウス
R.シュトラウス

私はもう過去の作曲家であり、私が今まで長生きしていることは偶然に過ぎない。

シュトラウス本人はそのように語っていますが、今なお20世紀の作曲家としては最も演奏機会の多い1人となっております。

シュトラウスは1949年9月8日にドイツで亡くなりました。

葬儀では遺言に従って、楽劇『ばらの騎士』第3幕の三重唱が演奏されました。

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自分の曲で天国に送り出してほしいということから、この曲をシュトラウスは相当気に入っていたのでしょう。

まとめ

今回のまとめは次のようになります。

 

・R,シュトラウスはドイツの作曲家であり、幼い時からその才能を発揮していた

・R.シュトラウスは指揮者としてもとても優秀であり、作曲と並行して活動していた

・悪妻と言われていた妻とうまく生活するだけでなく、その私生活をオーケストラで表現するなど天才的な作曲家であった

・ヒトラーに直訴できるだけの地位をドイツで確立しており、日本のためにも曲を書いている

 

リヒャルト・シュトラウスの楽曲は、時に難解なものあります。

ですが「なんでも音楽で表現できる」と豪語するだけあって、キチンと予習をして鑑賞すれば比較的聴きやすい楽曲が多いとnickが考えています。

またリヒャルト・シュトラウスは作曲家としてだけでなく、指揮者としても成功を収めた人物でありました。

今でいう副業や兼業をしていたことになります。

現代を生きる我々は、彼の人生から学ぶこともあるのかもしれません。

次回は「ティル・オイレンシュピーゲルのゆかいな悪戯」鑑賞のポイントを解説していきます。


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( `Д´)/ジャマタ

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