どうも、nickです。
スメタナの「我が祖国」の解説3回目です。
今回はモルダウ以外の曲について解説していきます。
モルダウ以外の曲が授業で取り上げられることが少ないですが、全曲の内容を理解することでモルダウへの理解はより深めることができます。
そして「我が祖国」は、全曲通して聴くことでチェコという国の歴史を理解することができるように作曲されています。
前回を、前々回をご覧になっていない方は、↓からご覧ください。
2回目
1回目
モルダウ以外の曲
モルダウが含まれている連作交響詩「我が祖国」は、次の6曲からなるオーケストラ作品になります。
- ヴィシェフラド
- モルダウ
- シャールカ
- ボヘミアの森と草原から
- ターボル
- ブラニーク
ここではモルダウ以外の曲について楽譜付きの動画をもとに解説していきます。
ヴィシェフラド
この曲は、ハープのソロから曲が始まるという極めて珍しい楽章です。
このハープは吟遊詩人を表しているそうです。
ヴィシェフラドは「高い城」を意味し、かつては要塞として現在のプラハを覆い囲っていました。
しかし、のちのフス戦争などの戦乱によって破壊され廃墟となってしまいました。
ヴィシェフラドの旋律のモチーフは他の楽曲でも形を変えて使用されています。
ヴィシェフラドのメロディーやリズムが他の楽章に転用されていることから、ヴィシェフラドは長年においてプラハ、もといチェコの歴史を語る象徴として「我が祖国」の1曲目に配置したのだと思われます。
シャールカ
シャールカとはプラハの北東にある谷の名前であります。
名前の由来は、男たちと女たちが戦争を繰り広げたというチェコの伝説『乙女戦争』に登場する女性の名前が由来となっています。
この曲で描かれているストーリは、次のようになっています。
ある日シャールカは、自分の体を木に縛りつけ、苦しんでいるように芝居をする。そこにツチラトとその配下たちが通りかかる。ツチラトによって縄をほどかれたシャールカは、助けてもらったお礼にと酒をふるまう。すっかり彼らの気が緩んだ頃、シャールカは角笛を吹いて味方の女戦士たちを呼ぶ。ツチラトは捕虜となり、彼の配下は皆殺しにされる。
シャールカの冒頭では、ヴィシェフラドのテーマのリズムが引用されています。
またスメタナはこの物語の様子を、ファゴットで男たちのいびきを表現したり、金管楽器がシャールカの吹く角笛の音を表すなどの工夫がなされています。
物語は女性側の目線で描かれているためか、勢いよく締めくくられます。
しかし、短調の和音を使っていることから、女性たちの今後の顛末は暗いものであることを予見させています。
ボヘミアの森と草原から
この楽章ではチェコ(ボヘミア)の田舎の美しさを描いています。
曲の序盤は弦楽器や木管楽器の16分音符の動きで、鬱蒼とした暗く深い森が表現されています。
この楽章は何かの物語を描写しているわけではありませんが、森の暗さや夏の日の喜び、収穫を喜ぶ農民の踊りや喜びの歌が表現されています。
曲の後半にはチェコの国民的舞踊でもあるポルカが盛大に演奏されます。(動画7:04あたりより)
この楽章は、チェコの自然の庶民の暮らしを凝縮して表した楽章と言えるでしょう。
ターボル
この楽章と次の「ブラニーク」は、15世紀のフス戦争におけるフス派信徒たちの戦いを讃えたものである。
この楽章では、全体を通してフス派の賛美歌「汝ら神の戦士」の旋律が引用されています。
この讃美歌の旋律は「プラハの春」に触発され、チェコ出身のカレル・フサが作曲した吹奏楽曲「プラハ1968年のための音楽」でも使われています。
(4:14の金管群、4:43のティンパニ、18:44のホルンの不協和音、20:19以降で引用されています。)
なお讃美歌におけるオリジナルの詞は、「最後には彼とお前が常に勝利と共にある」となっています。
このことから、弾圧されたチェコ国民の最終的には勝利するのであるという強いメッセージを示しています。
フス戦争について
ここで「我が祖国」を語る上で避けて通れないであろう「フス戦争」について簡単に説明します。
フス戦争とは神聖ローマ皇帝に反旗をひるがえしたフス派と呼ばれる宗派が起こした内戦になります。
ボヘミアにおける宗教改革の先駆者ヤン・フス(1369年 – 1415年)は、イングランドのジョン・ウィクリフに影響を受け、堕落した教会を烈しく非難した
その結果、ヤン・フスは教会から破門され、コンスタンツ公会議で異端であるとみなされ、火あぶりの刑に処せられました。
フスの死後、その教理を信奉する者たちが団結し、フス戦争を起こしました。
戦争は、フス派の英雄ヤン・ジシュカの活躍もあり18年という長きにわたって行われました。
ジシュカは全フス派の事実上の指導者でありましたが、遠征中にペストにかかり亡くなってしまいます。
ジシュカが亡き後も、フス派は10年近くに渡って活動を続けていましたが、内部抗争もあったためフス派は壊滅しました。
しかし、これをきっかけにチェコ人は民族として連帯を一層深めることになりました。
そして19世紀にチェコで民族意識が高揚すると、フス戦争をチェコ人の民族闘争として解釈する動きが強まりました。
「我が祖国」で演奏されるターボルは、フス派が軍事拠点として建設した都市であり、フス派にとっては重要な拠点でありました。
さらに、次の曲の「ブラニーク」もフス戦争と関わりのある土地となっています。
ブラニーク
この楽章は、ターボルから切れ目なく演奏されます。
ブラニークとはは中央ボヘミア州にある山のことです。
この山には、フス派の亡くなった戦士たちや、讃美歌に歌われる聖ヴァーツラフの率いる戦士が眠っているという伝説があるそうです。
伝説によれば、この戦士たちは国家が危機に直面した時、祖国を助けるために蘇り、敵国を打ち破るのだそうです。
曲の最終盤の12:48からは「汝ら神の戦士」の旋律に合わせて、ヴィシェフラドのメロディーが同時に演奏されます。
讃美歌と、1曲目のヴィシェフラドの旋律を同じに演奏されていることから、スメタナはこの曲に、チェコの長い歴史には苦しいこともあったが、最後には解放されるであろうという願いを込めたのではないかと推測します。
全曲聴いてみよう!
最後に「我が祖国」を通して聴いて見たいと思います。
※全曲聴くと1時間以上かかります。
チェコの歴史を振り返った後にモルダウを聴くと、今までと印象が変わったのではないでしょうか?
まとめ
今回のまとめは次のようになります。
・「我が祖国」はモルダウの他に5曲の楽曲から成り立っている
・モルダウ以外の曲は、主にチェコの歴史や自然、民衆についてを描いている
・「我が祖国」はフス戦争などを背景とした「抑圧からの解放」をテーマが隠れており、強いメッセージ性が込められている。
・全曲を通して聴くことで、チェコの歴史を1時間で鑑賞することができる
後にチェコは第一次世界大戦後、オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊したことをきっかけにチェコスロバキア共和国として独立をはたしました。
民族意識の高まりの中から生み出されたスメタナの「我が祖国」という曲がこの独立にいくらかの影響を与えたのではないかとnickは考えます。
また、毎年スメタナの命日である5月12日に行われるプラハの春音楽祭ではオープニングで「我が祖国」が必ず演奏されており、このことからチェコではどれほどこの曲が深く受け入れられているかが伺えます。
数回の解説を通して、チェコの歴史と背景をオーケストラで見事に表現したスメタナのこの曲が、いかに名曲であるかが伝わったのではないでしょうか?
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